ishiwatamarimarimariishiwatta

29 2007

ハッピバースデ

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え?!とっくにスペインにいるんだと思ってました!!

でおなじみのイシワタマリです。
いまだ日本にいるわけです。ついに24歳の誕生日をむかえてしまいました。

ごぶさたしてます。ビザがまだ降りてないわけよ。なかば情けないですが、ほんとうはべつに情けない気持ちでもないです。東京での生活も意外に毎日ドラマチックだし、そもそもまだ出発の準備ととのってないからね!

史上最大のモラトリアムに私がおこなったプロジェクトをいくつか紹介しますね。



1***

車ペインティングワークショッププロジェクト

鹿児島の知的障害者支援施設「しょうぶ学園」のボランティアと、そこの造詣教室のみなさんといっしょに送迎ワゴン車にペインティングをしました。
(いまサイトをつくってるところなので、できあがったら写真を紹介します。)

2***

巡礼の旅プロジェクト

日本地図のめちゃめちゃはじっこに、対馬ていう島があるのを知ってますか?そこに行ってきました。秘境です!神話の世界です。

行くつもりじゃなかったんだけど、完全になにかに導かれていることに気づき、予定を変更して長崎市にも行ってきました。自分の人格の根本的なぶぶんをかなり形成したのがキリスト教カトリックの精神だということを痛感して感無量。洗礼を受けてしまおうかと思ったほどでした。15年くらいぶりに神の存在を100%信じました。神と対話しました。
キリスト教ってけっきょくうさんくさい、って最近思ってたんだけど、今の私には教会に書いてあったいろんな言葉が胸にしみました。

そしてルドビコ茨木との感動の対面!

あのルドビコさまですよ、12歳で耳をそがれて縛られて、の衝撃の聖歌でおなじみの。(聖歌ですよ、小学校で歌わされる聖歌です。)かなりマニアックな話ですが興味のある方はこれを見てみてね。↓

http://kanamo.jugem.cc/?eid=23

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BA%8C%E5%8D%81%E5%85%AD%E8%81%96%E4%BA%BA

私はとある理由から中学時代にルドビコ(通称ドビ)と呼ばれていたので他人事ではないのです。とある理由というのはちなみに、当時部分的にアトピーで耳たぶが切れてて、スリットが入っていたからです。耳切れルドビコか耳なしホウイチかっていう二者択一の呼び名。超ブラックなキリスト教ジョーク、どうよこれ、YF学園。


3***

高校の頃ものすごく好きだったひとに再会するプロジェクト

これはすごいです。
奇跡。思いもよらない展開に、生きていることがうれしくなる。
もうしばらく会うことがなくても、単純に、生きててよかったと思ったし、あの頃の私のひとつの側面をいちばんよく知っていた人に会えたことで、見失っていた自分のルーツに出会えた。それは長崎でのキリスト教との再会も同じことだったけどね。

あのころは世界がとてもとてもシンプルだった。私たちは子どもだったし、大人たちがつくった小説や音楽を聞いて、大人たちがつくった言葉を借りてしゃべっていた。驚愕するくらい、あのころにはもうもどれないんだけど、それはけっこう悪くない。今だってまだまだ若いし子どものとちゅうなんだけど、これからどんどんきっと、私たちはもっと自分の言葉でしゃべれるようになるんだから。そしたらまた世界がシンプルになってくるような気もするし。



**********


さいきんね

「つらい」とか「苦しい」とか「もうだめだ」と思った瞬間以降の人生がわりと長いなと思うの。いつも真剣だし、真剣にだめだって気がしてしまってるんだけど、あとになってみれば意外とだめじゃなかったんだ、と思う。しかも、時間差の大どんでん返しが意外と存在する。衝撃以降が長い長い。展開が多い多い。こんなにいろいろあったのにまだ24歳だし、もちろん明日ふいに死ぬかもしれないけど、とりあえず、死ぬまでは生きられる。生きてると想像もできなかった展開がたくさんある。こりゃ死んでられないなーと思う。

そんなかんじで24歳、今日を楽しみまーす


みなさん、ありがとう。





Posted by イシワタマリMari Ishiwata | 14:45 | Comment [2] | TrackBack [0] | 未分類

30 2007

立ち直りは早い

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じつはさっきまでとてもめそめそしていた私だが、なんだか、いろいろ思考しているうちにすっかり元気になってきた。

もう、明日に向かってガシガシ突き進んでいっちゃおうかという気持ちになってきた。次の瞬間突然めそめそと泣き崩れるということもあるかもしれないけれど、それでもいいのだ、行きつ戻りつ、私は前に進もう。苦しいことほど感謝しよう、自分が成長するかと思うと、興奮する。
私は前向きで負けず嫌いである。昨日おばが言っていたけれど、おばにとっても私にとっても、「負けず嫌い」の意味は誰かと競争して負けないことではなく自分に負けないこと、自分にうそをつかないことなのだ。


Posted by イシワタマリMari Ishiwata | 00:24 | Comment [0] | TrackBack [0] | 未分類

29 2007

世界

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そこにはいろんなトリックがある。
いろんなコードがあって、いろんな読み解きかたがある。
ひとつの読み方を選ぶと、それにつながる島が浮かび上がって、ひとつのストーリーが生まれる。
あるきっかけで別の読み方を選ぶと、まったく違う島が浮かび上がってきて、今までまったく気づかなかった別のストーリーが生まれる。

幸せなストーリーかもしれない。美しいストーリーかもしれない。でもそれでもそこにはいろんなトリックがある。

トリックを怖れてもね、
怖れてもしょうがないんだ、トリックはあまりにもいっぱいあるんだもの。

私は怖いよ。
情けないし胸が苦しい。
だけどだからといって空虚ではない。不幸せではない。

「みんなかわいそうだよ。」とみづほちゃんが言ってた。私だってかわいそうだしあなただってかわいそうだよ。
そうだよね。
そうだと思えば誰も特別なんかじゃない。だれも恵まれてなんかいないし、だれも恵まれていなくなんかない。

私は自信がないよ。
自分の歴史のすべてが疑わしい。
この世界に確かなものなんてなにもない。
だけど楽しくないこともないし、楽しみじゃないこともない。

言い換えれば、

充実しているし、幸せだし、楽しいし、楽しみだ。

生きていくって、そんなもの。

私はなにを聞いてもびっくりしないと思ってた。
動じないと思ってた。
だいたいのことは想像がつくと思ってた。

そんなことない。
想像もしないようなことが、たくさんたくさん起こる。
当たり前だ。

自分のことは、まだまだわからないことだらけだ。
だからもちろん、よく知っているつもりの何かのことも、誰かのことも、まだまだいつまでも永遠に、わからないことだらけなんだ。それで当たり前なんだ。
世界にはまだまだわからないことがたくさんたくさんたくさんたくさんある。

誰にでも、成長の余地はたくさんある。
驚きの余地はたくさんある。
今までまったく気づかなかった別のストーリーに気づく瞬間は、どんなに生きてもどんなに慣れてもまだまだ、たくさんある。

と、たくさんの知ったかぶりの大人たちに言ってあげたい。

慣れることなんてない。
遅すぎることなんてない。
大人なんて、ほんとはどこにも、いない。




Posted by イシワタマリMari Ishiwata | 20:00 | Comment [2] | TrackBack [0] | 未分類

26 2007

しおかぜとおもいで

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だいすきなairdropのカフェライブひさしぶりに。
江ノ島はあまり好きとも言いにくい街(街だ)だけど海の見える場所でairdropを聞きながらすごす時間はとても特別。
ひさしぶりのセツ(セツモードセミナー。5〜6年前私が夜間通っていた絵の教室)の仲間たちにも再会する。

5年前の夏にセツ仲間たちと初めてグループ展をやったときにairdropが会場で歌ってくれたのが出会いだった。あのとき涙が出た。それからときどきairdropのカフェライブに行くようになって
東京にも好きな場所ができたし好きな時間のすごしかたができたと思った。18歳のとき。ほかのみんなは20代まんなかくらいだったから、私はいつも若かった。

そもそもピアノを弾いてる荒木さんがミキちゃんの中学の同級生だったんだし、あの展覧会をきっかけにエミオちゃんがairdropのCDジャケットの絵を描くようになって、ボーカルのカノコちゃんのネコが産んだコネコをエミオちゃんがひきとって、その名前はミミだった。airdropにはミミの歌もある。そのうち私たちはグループ展をやらなくなって、みんなそれぞれの道に進んでいった。私もひとりで展覧会やパフォーマンスをするようになった。個展のDMデザインを手伝ってもらうためにエミオちゃんとしんちゃんの家におじゃましたりしてた。
最初はネコだったんだけど、あるときからはネコの代わりにエミオちゃんの赤ちゃんになった。

エミオに赤ちゃんができて、ふたりが結婚して、

2年前の海のairdropライブのときはエミオちゃんのおなかが大きかったのに、今年のライブにはもうすぐ2歳になるはなちゃんが一緒に来ている。

ライブハウスでなくカフェでライブをやることにこだわりつづけてきたairdropの、その地道な活動にどんどんファンは増えて、5年もたつと、ゆっくりとでも着実に前に進んでいて、その活動はもう地道で小規模とはいえないものになっている。

でも変わらないものは変わらなくて、ほっとする。
その変わらなさはタイムスリップしてしまうみたいな頑固さじゃなくて、カノコちゃんと荒木さんも今を生きてて変化している。私たちが変化しているのといっしょに。だけど大事なことだけが変わらない。変わりつづけながら、でも変わらない。

5年間もの間に、私にもいろいろあったしいろいろ変わった。

その「いろいろ」にいつも、airdropが寄り添っていてくれるような気がする。昨日は泣かないわけにはいかなかった。いろんな思い出がつまりすぎているもんね。airdropにも、この場所にもね。

http://www.barks.jp/artist/?id=1000000902





まだ小さいはなちゃんが一緒だし早めにカフェを離れて、江ノ電で帰る。ひとりで浜辺で過ごしたかったから、由比ガ浜で降りる。

江ノ電にもたくさんの思い出がある。中学校のとき同級生6人組で江ノ電の線路を歩いたな。大人になってからも、あのときも来たしあのときも来た。
私が友達がいなかったというのはうそで、思い返すと誰かたちとの楽しい思い出はそれなりにたくさんある。

でも今は海辺にひとりになりたい。
夜の浜辺、ところどころに花火のグループが見えるけど、私はほぼひとりで月と海と砂浜に対面している。とても、ひとりだ。

吉本ばななの小説にこんなひとが出てくるシーンがあったな。誰かが見たらぎょっとするんだろう。だから誰かをぎょっとはさせないように気をつけて、でもあんまりひとはいないから、海とひとつになりたくて海に入る。水着は持ってないけど、それなりになんとか帰れるだろう。

昼間のビーチ(とくに江ノ島)はおかしい。海でさえ街で、社会だ。変だよ、悲しい。そういうんじゃなくて、

海とひとつになって、空とひとつになって、砂浜とひとつになったら、黒い闇につつまれながら、ふしぎに満ち足りた気持ちになる。海に吸い込まれてこのまま誰にも知られずに、自分が波にさらわれて消えてしまうような錯覚に陥る。せつなくて泣けてくるけど、でも悪くはない気持ち。

なんとかなるでしょ、それなりに。
また一日一日を生きようと思う。



http://homepage2.nifty.com/ishiwatamari/

Posted by イシワタマリMari Ishiwata | 11:30 | Comment [2] | TrackBack [0] | 未分類

25 2007

くぎりくぎり

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一日一日が一日一日としてすぎていく。
何にも追われていない。悪くない。

「潜入調査(観察、インタビュー)」、これは私の趣味である。しかし私はこのことを得意とする一方、超不得意科目が「演じること」である。

子どものころは私だって少なからず「演者」にあこがれていた。しかし実際問題は私にとって「演技」ほど苦手なことはない。たくさんのひとが俳優業にあこがれるのは少し興味深い現象だと思う。「演じる」ということはそれほどに格上な事柄なのか?たくさんの選りすぐりに見栄えのいい男女がこぞって取り組む事柄なのかな???

楽しいふり、なんともないふり、何にも考えてないふり、興味あるふり、興味ないふり、好きなふり、嫌いなふり・・・ができない。

8月もあと一週間であります。





Posted by イシワタマリMari Ishiwata | 12:35 | Comment [0] | TrackBack [0] | 未分類

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