ishiwatamarimarimariishiwatta

13 2007

おじいちゃま

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どんなに望んでもなれない、
どんなにがんばってもできない、
どんなにわかりたくてもわからない、

と、いうものの存在を認めることは素敵だと思う。

小手先でできてしまうこと、なんとはなしにわかった気になってしまうこと、それはたぶん惰性だと思う。

できない苦しさとか、わからない不安さとか気持ち悪さとか。「思い描く理想」と「現実」のすきまにこそ、「ほんとう」があると思う。そうでなければ、私たちが今ここに生きている意味もないしこわいしおかしいと思う。そうでなければ、生きものには魅力がないと思う。

80歳になった祖父にとって

私という孫の存在がどんなにたいせつな宝物なのか私は知っている。長いあいだ知らされ続けている。
だけど祖父はいつも私の描く絵を、着ている服を、していることを、異界のものを見るような不安な目つきでおそるおそる見ては、「わからない」「わからない」「もっとわかりやすい風景や植物を描いてくれればいいのに・・・」と言っていた。

たぶん

がんばってもこんなふうにする以外できなかった私も苦しかったけど、私が苦しかったのと同じように祖父も苦しかったと思う。愛する相手との共通言語がないこと、核心をそらしてしか会話できないことが。私のことがわからなくて、わかりたくてもどうしたらよいのか、どこにその入り口があるのか、それさえもわからなかったんだと思う。

祖父が「今までごめんね」と言ってくれて、私のことを少しでもわかろうと勉強し始めた。80年も生きてきて見たことのなかった世界を覗こうとするのは、たぶん、不安で疲れてそわそわしてショックだと思う。
だけどもしかすると新しい喜びだと思う。
自分が生きていて、自分の娘のそのまた娘が生きているっていう現実は、祖父にとって、そういう喜びな気がする。

祖父が生きててうれしいな、私も生きててうれしい。

私には私という1人に対して(厳密には私と妹という2人に対して)10人の保護者がいて、10人のそれぞれ別の世界があって、私にはやっと、それぞれの世界のほんとうの姿が見えてきたんだ。

少しずつ。



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Posted by イシワタマリMari Ishiwata | 14:45 | Comment [0] | TrackBack [0] | 未分類

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