ishiwatamarimarimariishiwatta

07 2007

毛むくじゃらの魔女とデジャヴ

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ああ、まだ5月7日か!!

と思う。心の中では15日くらいだった。

ああ、まだ23歳か!

と思う。もう24歳になってからだいぶ経っているような気がしていた。

最近この傾向が強い気がする。
子どもの頃から、つねに実年齢より2、3個は上に間違えられることに慣れていた、っていうのがその理由なのか、それとも・・・何かほかの理由があるのか。

最近、ちょっと心配なことがあって、それは、常に「自分に魔力があるような錯覚」に陥っているのである。もしかすると・・・これは・・・世が世なら(というより現代だからこそなお?)みんなから「かわいそうな目」で見られて、精神病院に送られるのでは・・・(もしくは火あぶり)

「魔力」というのは、じつはべつに「魔力」ってこともないのかもしれないけど、知らされていないことでもおぼろげには知っていて、ものごとの本質が見えて、時間軸的には未来のことがおぼろげにわかるような、そういう気がするっていうこと。
なにかが起こると、自分がいつの間にか「やっぱりね」的な反応を起こすのである。でもこれって、デジャヴ(初めて来た場所なのにかつて来たことがあるような感覚に陥ること、既視感ともいう)がただの脳の錯覚のメカニズムであるってことと全く同じで、けっきょくのところ、
「●●はきっと××になるよ」と予言するのではなくて、コトが起こった後に「やっぱり」と思うにすぎないのだ。これって・・・

なんか、かわいそうな子なんだろうか。痛い子・・・・?

最近の私は、つまり、あたかも自分が近々「超能力者デビュー」できるんじゃないか、といったような、そいういう錯覚に陥っているのです。それを、自分で客観的に考えてみると不安になったりもする。不安て言っても、本気で不安なわけじゃなくて、楽しい気持ちだけど。

いろんなことがリンクしすぎているのだろうか・・・・いろんなことが、納得いくのである。何かが起こるとすぐに、それが何にリンクしているのかがわかって、美しいクモの巣がパッと完成する。

というのもあるし、別の側面から言えば、私は今よりもちょっと未来を生きている。

なんて言うと、ちょっと「私って特別なんです」なんて雰囲気だけど、超あたりまえの現代日本人的な私のことを説明すれば、それは、ただ単に現実よりも2,3日前には手帳の「その日やるべきこと」が埋まるから、頭の中でいつも2,3日先を生きているんだ、っていう、ただの現代病なのかもしれないな。

それに、楽しかった日が遠い昔のことかと思いきやつい今朝のできごとだった、っていうことなどは、それに気づいたときに嬉しいし、「ちょっと未来を生きる」ということはその程度のささやかなものなのかもしれないだけかもしれないだけですの。

でも、それはさて置いても自分の魔力を日に日に信じてしまう。そういう私を病気と思うなら病気ということでいいですが、私はさらに、それが「超」能力っていうよりも、「いや、そりゃ、わかるよ。ほんとうはみんな普遍的にたぶんわかるよ」と思うのである。それ自体、前にどっかで誰かが言ってたことだな。「わからない」という状態はただ、やりかたがわからなかっただけで、やりかたがわかれば誰でもわかる。別段、特別な人だけに与えられた能力じゃなくて、きっとわかるのが自然な形なんだよ。人間は退化しすぎてわからなくなっちゃったんだよ、つまり人間以外の動物たちはきっとわかっているのだよ。うちの犬は、飼い犬として生まれ育ったから、鈍ってるほうかもしれないけど、それでも、今までの私よりは、わかってるはずだよ。

とか思うわけ。

それはたとえば、もともとは誰も「セックスのやりかた」なんて教えられたことないのに今まで綿々といのちのチェーンが連なってきたということと同じくらい、「いや、そもそもみんな知ってることなんだよ」ということなの。

それは慣用句で言えば「動物的勘」?とか「本能」?とかいうもの?
なので、「超能力」は「超」どころか「動物的基礎能力」だと思うんだ。

そして私はうれしいことにだんだん動物らしくなってきたのかもしれない!やっったーーーー!前にも書いたことだけど、私の理想は人間以外のけものになること、全身を豊かなふさふさの毛で覆われたけものになることなの。全身の肌が露出した人間って、なんて滑稽な動物なんでしょう?!
なので、どうしても動物の「ファー」が好きで、店頭で「ファー」を見ると、すぐ購入・・・・は、しないんですけど、必ずひとつひとつなでてしまうんです。以前までは安価なもの(古着やさんで見つけたきつねのかたちのファーのマフラーなど)なら購入することも多く、気づけばけもののかばん、けものの定期入れ、けもののマフラー・・・とそろってしまったのだ。もちろん、「それ、かわいく見えるけど、そんなものにされるためにどれだけの動物がむやみに殺されたと思ってるの?」といったことを言われることもあって、しかしそういうことも存じておる。大昔の極寒の北極地帯での生存のためならともかく、たかだかファッションのためにたくさんのいのちを殺して毛皮をはいで身にまとって平気でいる私たち人間がいかに愚かな劣った動物であるか、ということもわかっておる。私は自らの手で「ファー」のファッショナブルグッズをつくるために動物を殺して皮をはぐ、ということはたぶんしないはずなんだけど、それを作って生計をたてている人間がいることも確かで、決してその人間が悪の枢軸などではないということもわかっており、そうこうするうちにすでにいのちを奪われ死体となってしまったその「ファー」がこの人間世界に売られているからには、もうどうせ作られてしまって、最悪の場合だれからも愛されないのかもしれないのならば、私が購入してよしよしなでながらいっしょに暮らしたとしても、鎮魂の意味から言って、悪くはないでしょう?私たち動物はしょせん、毎日いろんなもののいのちをいただいて生きているんだもの・・・そんなにも愚かなんだもの・・・。


とか毎日そういうふうに、話を脱線させながら暮らしているんです、昨今の私は。

  
ふさふさの毛に覆われたいからといって、将来、私が生やしうる限りの全ての毛をボーボーに生やして毛むくじゃらになったならば、きっとのみんな私のことをかわいそうに思うんでしょうね。






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Posted by イシワタマリMari Ishiwata | 22:03 | Comment [0] | TrackBack [0] | 未分類

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