ishiwatamarimarimariishiwatta

21 2007

鏡のはなしと金のはなし

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私はいつも鏡になる。

外を(誰かを)見るとき/聞くとき/触るとき/読むとき/感じるとき/嗅ぐとき/食べるとき。

すべての何かは誰かが生きていた(生きている)ことの証。人はすべての仕事(労働、言葉、動き、表情、絵、音…)を通して人生を生きている。その生きている(生きていた)そのひとの証と会話しながら、私はいつも鏡になる。私の半分はそのひと自身になる。なる、なっちゃう、同一のものにメタモルフォーゼする。私のもう半分はそのメタモルフォーゼを否定して残っている。その残った部分が「私」なのかというと、べつにそういうわけではないと思う。外の誰かに「なってしまった半分」と「ならなかった半分」、その両方がいつも「私」なの。だから、「私」はいつも違うの。いつも違うとしても、つじつまは合ってるの。
きっと、私だけじゃなくてみんなそうなの。「ほんとうの私」なんてないの、そういうものがどこかに隠れているわけじゃないの。私たちはみんな、毎日の仕事(労働、言葉、動き、表情、絵、音…)を通して「ほんとうの私」を生きている。





お金をもらうこと、お金をもらう価値のあることをすることは大切だと思う。なんらかのかたちで。私はお金をもらえることもするしもらえないこともするけど、
私は金のたまごを産むアヒルはいらないよ。安心はいらないし持ちものはいらない。もし、たとえば、たとえばだけど、私が何をしてもしなくても金が∞に湧いてくるとして、そしたら、私はどうやって生きたらいいのか、わからなくなってしまうかもしれない。

でも金に金以外の何かがこもっていたのなら、そのときもそれを「いらない」って言えるの?
もしかしたら、そのとき大切なことは、アヒルのからだの中の金の泉が約束する∞の未来じゃなくて、そのかわいいかわいいアヒルちゃん自身をプレゼントする今の瞬間のことなのかもしれないんだから。





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Posted by イシワタマリMari Ishiwata | 17:38 | Comment [0] | TrackBack [0] | 未分類

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