ishiwatamarimarimariishiwatta

31 2007

いのちが丸出しな感じ

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幼いころからずっと欲しかったもの

それはきっと「生活感」だった。
生活が/人生が/いのちが丸出しな感じ。

(日本語はむずかしい、「生活」と「人生」と「いのち」、ぜんぶひとつの単語(「life」とか「vida」とか)でいっぺんに表せると助かるんだけど・・・。)

私の育った環境は、
きれいに手入れされた庭がついた建売の一戸建てがいっぱい並んでる郊外の町で、商店街もなく、何もなかった。そして私はその一戸建ての大群のうちのひとつの家から、電車に乗って学校に通っていたの。
紺の制服を着て、1時間ほどかけて電車とスクールバスに乗って、女の子だけの学校に通っていたの。

友達同士の家が遠いから友達の家に「突然」遊びに行ったことなんてないし、「突然」来たこともない。遊びに行くのは特別な日だけなので、友達の「ふだんの生活」はよく知らない。

みんな
いつもよそゆきだった。

みんな
いつも
きれいで、きちんとしていた。

私も、
きれいで、きちんとしていた。

「お受験」の日、みんなで好きに遊んでいい時間があって、(つまり、しつけられた子どもたちがふいに本性を出してしまう時間。)私は夢中に黒板に絵を描きまくっていた。チョークの粉だらけになって出てきた私を見て、母は「あ、落ちたな。」と思ったらしい。
幸か不幸か母の予想に反して合格していた私は、その日からキリスト教教育の申し子となって良い子まっしぐらの生活を送った。「神さまがいつも見ているから」、悪いことができなかった。

私は誰よりもそっせんして良い子さんだったんだけど、もちろんそれは「子ども社会」的にはそれはそれで逆に浮いてた。
とはいえ、
みんな、きれいできちんとしていた。

図工の時間にスモッグが絵の具だらけだったのは私ととがちゃんだけだった。みんな、スモッグさえも汚れていなかった。私のスモッグを見て母は「恥ずかしいわねえ」と言っていた。「わざとスモッグに描いてるんじゃないの?」と。(とがちゃんは逆ギレ。「じゃあおまえら何のためにスモッグ着とるんじゃ!」と。でも私はというと逆ギレするという自由な発想さえ持っていなかった気がする。)

おしゃれをすることは罪悪だと思ってた。(気がする。)「お受験」に際し、私は腰まで伸びていたかわいい髪の毛をばっさり切られて戦時中の子どもみたいになって、泣きそうにショックだったけど、やがて小学校に入ると、そんな子どもじみた感覚、かわいい女の子でいたいなどという感覚が非常にばからしい罪悪だと思うようになった。
2年生くらいで、遠足の日にちょっとしゃれたデザインのファンシーなTシャツ(といってもスーパーマーケットレベルの)を着ていると「せんせー、いしわたさんがおしゃれしてますー」とか言われた気がする。「これのどこがおしゃれなんだ」と先生は言ったけど、私は「そうか、まずいことをしたな」って思った。それから中学生になっても、「おしゃれをするのは恥ずかしい」という気持ちはけっこう消えなかった。だから眉毛のかたちを変える勇気はなかったです。まわりに変化を見られるのがこわかったから。ある日なんとなく、脚のもさもさしたすね毛を剃ったけど、「剃ってるの?」とクラスメイトに聞かれて「剃ってない」とうそついた。

ちなみに
ふざけることもできなかった。「子ども社会」においては、(さすがの私立の女子校といえども)やっぱりおもしろくてみんなを笑わせる子が人気があるんだけど、私はふざけることもまた、おそろしくくだらないことだと思っていた。(気がする。)たまに、しかたなく周りに合わせてふざけているふりをしても、だいたい想像つくように、学級委員の良い子さんがふざけて見せたところで得てしてだいたいおもしろくない。

要するに

最悪だった。

要するに、

私は控えめというよりはむかつくぐらいいばりんぼうの学級委員の良い子さんで、かつふざけることもできない肩に力の入りまくった子どもだったんだけど、にもかかわらずきれいできちんとしたこともまた好きじゃなかった。そんな最悪の私にいったい何ができたんだろうと思い返してみても空恐ろしくてしかたありません。唯一私が無意識になれたときが絵を描いているときだったんだと思う。無意識に、私が私のいのちを丸出しにできたとき。
それ以外はきっと、いつもずっと誰かの目が私を見ていて、いのちを丸出しにするのはすごく恥ずかしいこと、ばからしいこと、くだらないことだと思っていた。

あの頃から持ち続けている言いようのないあの気持ちについて、今やっと、どうしたらいいのかわかり始めているのだと思う。

生活を/人生を/いのちを丸出しにして、他人と、友達と、家族とかかわること。丸出しにするための助けとして、「絵を描く魔法」を使うこと。





http://homepage2.nifty.com/ishiwatamari/200506/6ikko.htm

Posted by イシワタマリMari Ishiwata | 23:56 | Comment [2] | TrackBack [1] | 未分類

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私、「かわいい」は悪口だと思っていた。
ピンクが好きは「ぶりっ子」だと思っていた。だから水色が好きと言った。
お化粧することも、それを指摘されることもなんだか恥ずかしくて、怖くて、否定した事ある。
内緒話や交換日記は「悪口をいうため」にあるもので、
3人グループは「仲間はずれにするため」にあるものだと思ってたというか、そういう価値観がしみついてた。

高校に入って、素敵な人に出会ってそうじゃないんだって感じた。
大学に入って何年か経って、その価値観が定着してきた。
それは自分にとって結構な試練だった。怖かったよ。信用するの。
麻里の話をきいて安心した。
よくわかるぜ、キリスト教の女子校の価値観。

Commented by たみー [URL] | 02/05 00:30| edit

おたまさん

コメントありがとうございます。
そうです

その点あなたと私はひとつの何かを共有していますね。
そして全国にはたくさんの(同じ経験をした)同志たちが散らばっています!立ち上がれ!抑圧女子たち!

そうだよねー
水色はやたら人気があったよね
わかるわかる

こえーな

Commented by ishiwata [URL] | 02/05 13:28| edit

学級委員学級委員(がっきゅういいん、英語|英 class representative)、又は学級委員長(がっきゅういいんちょう)とは、学校の学級(クラス)においてリーダー的な立場の役職に就いている生徒の事である。学級委員の名称は、各学校によって異なり、「クラス委員」「クラス

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