ishiwatamarimarimariishiwatta
17
2006
教育と介護と接待と恋愛

人が人として関わる、というだけのことなのだ。
自分が、自分として。それぞれの人生の文脈の中で交差するというだけのことなのだ。
相手が子どもでも認知症の老人でも、先生でも生徒でも上司でも新入社員でも、お客様でも何でも。
お客様は神さまです、ワーオロッケンローール。fuckです、お客様も人です。売り手も人です。
軍隊の戦士も企業戦士も機械じゃない。魂と尊厳をもった人間です。
認知症の老人は家畜じゃない。お世話をするひとよりも長くこの世を生きた、歴史ある人間です。
子どもは大人の未熟バージョンなわけじゃない。サイズは小さくでも、魂を持って生きている大きな宇宙なの。
どうして、それあたり前じゃないのか?
人はひとりの人として、その人生を生きるんじゃないのか?
その仕事は何のため?教育は誰のため?接待は誰のため?誰もうれしくないのに、理由なんてないのに、慣習だからやるのね。常識だから(まるでそうするよりほか生きるすべがないとでもいうように思い込んでいるから)やるのね。なぜそれをやるのか、考えたことあるの?自分はひとりの人間で、相手もひとりの人間だということ、ただそれだけのこと、きちんと見ているの?
そんなあなたの恋愛の決め手は何なの?結婚の決め手は何なの?欲情の決め手は何なの?いつだってどんなときだって、自分がひとりの人間で、相手もひとりの人間だということ、そうじゃないの?どうしてそうじゃないの?
どうしてなの
麻
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Posted by イシワタマリMari Ishiwata | 22:36 | Comment [0] | TrackBack [0] | 未分類
