ishiwatamarimarimariishiwatta
タイムマシンはあるよ

思えば遠くへきたもんなのだ。
私はひきつづき、20世紀末、ミレニアム、そして謹賀新世紀のあたりを旅し中。
ウェブサイトを新設するにあたり、自分の古い絵の画像を整理しているのである。
BGMは椎名林檎、チャラ、ドラゴンアッシュである。
私はあのころまではJPOPが好きだったよ。
椎名林檎って意外と若かったのだ。あのころの林檎ちゃんの年齢を私たちは越えたのだ。彼女は天才だ。なんてすてきなんだ・・・高揚。チャラも。
私はこれを聞いて育ったんだ。あと、江國香織と山田詠美を読んで。ドラゴンアッシュは、今聞いたってどう考えたって好みじゃないでしょう。あのころだってべつに好みじゃなかった。
それにしても私のサイトは絵をいっぱい公開しすぎでしょう。やりすぎでしょう。そこまで全部見せなくてもいいでしょう!ひとつ残らず見せたかったのだ、必死だった。もがいていた、「わらをもすがる思い」ってやつだ。いつだって居場所がなかったし、いつだって自分に自信がなかった。絵を描くよりほかなかったし、ひとつ残らず誰かに見せなければならなかった。誰か。不特定多数の、つまり誰もいない、∞の0に向けて。
思えば遠くへきたもんだ。
音楽を聞くと、絵を見ると、そのころのすべてを思い出す。私の絵はJPOPに似合う。
歴史をさかのぼって仰天する。私が絵をまともに描き始めたのはたかだか2001年なのだ。それまでだって(ものごころついてクレヨンをグーで持っていた頃から)絵を描くのは大好きだったし、高校2年生から「夜間の専門学校」的な場所に行き始めたとはいえ、もっと「よし、描こう」っていうかんじのことだった。日記を書くように、呼吸をするように、ごはんを食べるみたいに当たり前に描くようになったのは高校3年生なのだ。
ミレニアムはミレニアムというだけのことはある年だった。なのにあの頃はまだ絵を描いてなかったのだ。
それはけっこう感慨深い。なぜならミレニアムに私の人生はかなり暗い方向へガクンと傾いたからだ。暗い、といっても大したことじゃないでしょって言われるかもしれない。そもそもあの頃すでに自分の過去を「暗黒の少女時代」と呼んでいたうえに、それをうわまわる暗黒がつづき、全体的に明るくなかったところを、ミレニアムのとちゅうが急に一瞬明るかったのだ。私はたぶん、そのせいでのぼせあがって調子にのったのだ。ガクンと傾いたのはほとんど自業自得といっていい。
調子に乗っていたあの頃、私は、しかし、絵を描いていなかったのだ。
創作意欲は「幸せ感」からは生まれない、と、思う。
こないだ鹿児島で入った店のトイレの壁に「幸せは不幸な顔してやってくる」って書いてあったんだけど、たぶんそれはほんとうだ。結果的に、「なんてこった」っていう事態がかさなったあとのほうがはるかに、なんていうか、イイ。
2001年から2007年までの歴史は、私が絵を描くことを支えに這い上がってきた歴史だ、と、思う。ほんとうに言葉にできなかったんだろうな。「本を読む」でも「音楽を聞く」でも「映画を見る」でもだめだったんだ。誰も代弁してはいなかった。自分をとりまく全てのことに、「そうじゃないのに」「そうじゃないのに」「そうじゃないのに」といつも思っていた。そうじゃなくてじゃあなんなのか、ずっと探していたけど、まだわからないけど、あのころと比べたら、ずいぶん見えてきたんじゃないのか。
それにしても、昔の絵を見ると、自分がまさかこういうふうになるなんて想像もしていないような(あたりまえだけど)絵を描いている。
絵ってすごいよねえと思うのは、美術館でピカソの絵をみるとき、その絵っていうのは「あのピカソ」が実際にほんとうに現実に筆に絵の具をとって塗った絵なのだ。「あのピカソ」のパブリックイメージがどれだけ一人歩きしようと、とっくの昔に死んでいようと、そのひとはほんとうに確かに生きていて、その絵を描いていたのだ。(もしかしたら影武者かもしれない、よく写真で見かけるあの顔じゃないかもしれないし、わからない。だけどとにかくピカソらしき誰かが存在していてその絵を描いていたことは確かなのだ。)さながらダイイングメッセージじゃん、っていうか、リビングメッセージ。すごくないですか?いやいや、すごいよ。絵や「芸術品」にかぎらず、職人のつくった日用品とかもそうなんだけど。人が死んだのに、その人が生きていた跡が残ってるんだよ。すごいなあ。
だから、そういうわけで、話をピカソから自分に戻すんだけど、あのころの私が完全に新陳代謝を終えて今の私はまるっきり別の人間みたいで(いったい何をもってして私が私と決まるんだろう)あの頃の細かい記憶はうすれていて、もしかすると今思い出すことはぜんぶ捏造の記憶かもしれないんだけど、だけど絵を見ると確かにリアルなあのころの私がいる。あのころ、生きてたんだねえ。
もう全然別の人間だ。
だけど、
でもほんとうは、
あんまり変わってない。変わったと思っているのは、変わっていたいからだ。ほんとうは、変わってないの。いいところも、悪いところも。
自分次第で変われると証明したかった、たしかに変われるところもある。だけどひとってそう簡単に変わらない。いやなことは忘れちゃいたくても、捨てちゃいたくても、捨てられないし、いろいろなもの、自分のもちものとしていっしょに生きていくんだ。それはべつに悲しいことじゃなくて、いろんなもちものが、ひょんなところで顔をだすから、ああーそうだよね、って、いう、楽しみが増える。
不特定多数の誰か、つまりは誰もいない∞の0に対して虚勢をはる。昔から今も変わらないんだ。私ね、ほんとはただのあまのじゃくなんです。思い出した。
思えば遠くへきたもんだ。
死ぬのはいつも怖い。だからとにかくやっぱり死ぬ日まで生きよう。
麻
Posted by イシワタマリMari Ishiwata | 04:23 | Comment [0] | TrackBack [0] | 未分類
