ishiwatamarimarimariishiwatta

31 2007

スペイン生活の幕開け

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こんにちは!
ついに、ついに、ついに、ついにスペインの生活の場に到着しました。
長い道のりでした・・・10月25日、念願のビザを握り締めて成田空港をあとにした後が。もう何が起きてもびっくりしないよ。出来事をざっと時系列で報告しますと、

・成田を発った飛行機がロンドンのヒースロー空港に着いたものの立ち往生。空港全体が飛行機たちと人間たちでごったがえしてカオスとなる。

・乗り継ぎ便(ビルバオ行き)に乗れない

・代わりの便を手配してもらったもののそれも乗れない(ちなみにそれは空港全体がカオスだったことに加え私が愚鈍に空港内で道に迷ったため)

・ロンドンにてホテルで一泊を余儀なくされる

・それはつまり、入国したくもない英国の厳しい入国チェックを受けて入国し、翌朝厳しい出国チェックを受けて出国するということである。ほとほと疲れて気もそぞろ、でも長蛇の列のさなかにキューバ難民の母娘と仲良くなったり、韓国人の弁護士のおじさんと仲良くなったりする。航空会社からもらった今日のホテル行きシャトルバスのチケットを落とし(さすが私)、キューバ母娘に助けられながら半泣きでうろうろしているうちに無事にチケットを拾ったりして(奇跡)ホテルに向かう。くたくた。母娘は19年前に手漕ぎボートで逃亡してアメリカ国籍を手に入れたというリアル難民である!さすが難民、さすがのサバイバル能力、ちゃきちゃきした娘は「悪夢だ!こんな場所には二度と来ない!」と怒りながらも、英語のしゃべれない母親と愚鈍な私をしっかりと引率してくれる。母娘はインド旅行帰りで、ふたりともサリーを着ている。ちなみに英語のしゃべれない母親は名をマリ(正式にはマリア)といい、星座は私と同じてんびん座。私の名前を聞いて喜び、私もてんびん座だと知ると、「やっぱりね」と言われる。

・そんなわけでロンドンから、行き先を変更してバルセロナ行きの飛行機に乗ってついにスペインに上陸。バルセロナからバレンシア行きの特急列車に乗る。

・飛行機の中で出会ったナンパ師にタクシーに乗せてもらい、何か食べるためにいっしょにレストランに入ったが死ぬほどまずい。どうしたらこのまずさでレストランを運営していけるのかが知りたい。

・ちなみに基本的に私は中国人だと思われています。私の風貌もおおいに関係ありますが、もしかしていまのトレンドは日本ではなく中国なのではないでしょうか。なんとなく、2年前と温度差を感じます。

・列車の駅に到着するが、線路が壊れているので特急列車の乗客は全員ぞろぞろと大きなバスに乗せられて、線路の壊れていない駅まで運ばれる。

・1時間程度の遅れで済んでとにかくバレンシアに到着し、数時間後、じつはヒルトンホテルのパーティ会場でさっそくペインティングパフォーマンスを行いました。写真はのちほど。ちなみにロンドンのカオスの影響で、スーツケースは私といっしょに飛行機に乗ってくれなくて、絵の具や化粧道具や着替えなど全てを乗せたままビルバオ空港に運ばれた。でもそれは想定の範囲内であり、そんなこともあろうかと、絵の具と衣装はバネッサ(マネージャー)に持ってきてもらっていたのでだいじょうぶ。

・そしてパーティの翌日、その絵の具一式と筆一式は、ヒルトンホテルによって紛失されました。この時点でもう、何が起きても「やっぱりね」と思うようになりました、ようこそスペイン!です。画材一式の代金はヒルトンホテルが弁償してくれるようだ。

・でもまあとにかくハッピーなパーティ、ハッピーなパフォーマンスであった。あ、そうそう、パーティは仮面舞踏会(仮面は任意)でした!仮面体験は新発見です。

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・その後もバレンシアにて、食べて飲んで寝る楽しい週末を過ごす。

・ちなみにこの週末で改めて悟ったこととしては、「そうでした、スペイン人は食事とお酒と下ネタでできているんでした」、ということでした。白熱した議論のとちゅうでバネッサが時折私のために英語で通訳をしてくれるのだが、「we are speaking about ***」(下ネタ)と教えてくれた30分後に「we are speaking about ********」(下ネタ)、その1時間後にもまだ「we are speaking about ****************」(下ネタ)といった感じで、終わりなき議論がくりひろげられておった(男女混合。レストランにて、大声で)。そしてみなさん例外なくオヤジギャグである。ちょっと待ってーここは場末のスナックなのか?ウブな日本人女性だと思われると余計にきまりが悪いので、オヤジギャグも下ネタもなんのその、という感じで振舞う。受け答えにももう慣れました。ちなみに、オヤジギャグも下ネタもカラッとしており、正直なところ、不思議に爆笑できるんだわ。そもそもスペイン語がわからなくてもそもそも人々のようすが可笑しい、なんなのこの人たちはいったい。

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といった感じでようやくサンセバスチャン(スペイン北部、バスク地方の、これから2ヶ月間の私の生活する町)に到着して、今週から生活が始まります。アトリエの鍵ももらって、みんなに挨拶して、スーツケースが無事に配達されて、部屋に荷物を納めて、ほっと一息ついたところ。ちなみに水曜日と木曜日に両親が来ます。さっそく。なんせ初めて実家を出た私だからね・・・ちなみに両親の銀婚式の旅行でもあるそうです。彼らは今パリを旅行しているそうです。

とにかくとにかく、結果的にはすべてがうまくいった、あー、よかった。

成田を出てからいろんなひとに出会いいろんなできごとがありいろんなひとに助けられました。あー、外国に暮らすってこういうことなんだね!という洗礼を受けて、スペイン生活の幕開けです!

写真は、仮面のようすと、新しい部屋のようす。壁はきいろです。



Posted by イシワタマリMari Ishiwata | 01:19 | Comment [4] | TrackBack [0] | 未分類

18 2007

VISA

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ビザが降りました!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

私がどれだけひとりで叫びながら家中を走り回ったことか。誰かが見たらびっくりするでしょう。

1週間後に発ちます。

To all

Finally I got the visa. Finally.
I'll take the flight to Spain, on thursday.

Hasta pronto!



Posted by イシワタマリMari Ishiwata | 17:25 | Comment [6] | TrackBack [0] | 未分類

16 2007

Think of it

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パニック発症

そしてひとに相談することで治まる。
そして母に別の意見を言われてまたパニックになる。

あと2週間経ったらビザが無くてもなにがなんでもスペインに行こう。
バネッサ・・・
わがスペインの友&保護者たち。
思えば1年以上顔をあわせていないのだ。遠距離恋愛として考えてみると、よくぞがんばった。とにかく会ったほうがいい。

私がここまで日本に居続けたのは、私のこころが日本にあるからだった。問題はビザではない。
スペインは遠かった。まるで遠い幻のようだった。今年の上半期くらいまで私のこころはずっとスペインにあったのに、今さらになって日本の生活を離れることが現実味を持たなくなってきたのだった。だから仕方ないね。今やっとついに私のこころはスペインに行った。時間がかかった、不器用だな。私の計画性のなさをこれ以上責めないでね、父母。

こころの予定はいつも読めないね。

「考えが甘い」
「心配」
「自分だったらもっと万全に調べて準備をするし、絶対そんな失敗はしない」

そう口にする父母が悪いわけじゃなくて、私のこころの問題だ。これまで人生の大事な岐路にたったとき、いつも父母が私を導いてくれて、その結果いつも私がひとりで考えたことよりも正しい方向へ向かったみたいだったから、だから私はいつも思っていたの、「私は考えが甘い」「私はけっきょくひとりでは何もできない」と。
だけどこれは私のこころの問題だ。今この瞬間だってこの思いが私をとらえてたまらないけれど、それでも私は私のやり方で生きるのだ。それこそが今いちばん重要なことだから。

Remember what you swore when you made 3 piercing holes.
Remember, in 2006, the 23rd birthday in Spain was the important changing point in my life.

最近小説を読んでいいことを学んだの、自責の念やネガティブシンキングがループし始めたら、自分にこう言うのだ。
「あら、またあなたはそんなことを考えているの?じゃあどうぞ、ご自由に。私はもっとたいせつなことに時間を使うから。」パウロ・コエーリョの『11分間』から。

最近私は自分の名前が好きだ。この名前をつけてくれた両親のことも好きだ。単純に言って、好きだ。
あと、最近思うことは、好きなひとたちに対して素直になってなりすぎることはないのかもしれないっていうことだ。友達にたいせつだと言ってみたし、ありがとうと言ってみた。母に好きだと言ってみたし、ありがとうと言ってみた。





Posted by イシワタマリMari Ishiwata | 20:35 | Comment [2] | TrackBack [0] | 未分類

15 2007

かいこ

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小学校1年生のとき、かいこがの幼虫を育てさせてもらうことになって、ひとりひとりにかいこが配られた。かいこは「くわの葉」しか食べないらしくて、「くわの葉」を食べて大きくなるとまゆ(絹の材料になるあれ)になるというので、みんなはりきったんだけど、

私のやつだけ、どういうわけか、もらってすぐに死んでしまった。

クラスのほかのみんなは、休み明けに、まゆになったかいこを先生に提出していた。

かいこが死んでしまったのはとりたてて私のせいではない、と、先生も親もみんなも思ったでしょうが、じつは私はとちゅうで、あれは私のせいだったということに気づいた。私が「くわの葉」だと思ってあげていた葉っぱ、くわでも何でもない、なんかよくわかんない葉っぱだったのである。

観察日記1日目(最初にして最後)によれば私のかいこは私の「くわの葉(偽)」を一口食べており、その時点を最後に死んだ。さながら白雪姫の毒りんごである。
不思議なことにその観察日記に私は、「私のあげたくわの葉はほかのくわの葉よりもずいぶん大きいようです」と、ご丁寧にアリバイを残すようなことを書いていた。

あのとき教室のそとの学級園で、クラスの子に、「くわの葉はあっちのほうに植わっているよ」と言われて、「あっちのほう」にあった葉っぱを取ってきたのだ。だけど何もあの子は、私をはめるために虚偽のくわの葉を教えたとかそういうことではなくて、私が勝手に、「あっちのほう」という漠然とした情報の中で勝手に「これがくわの葉なんだなあ」と決め付けて、それをかいこに与えたのである。

私の少女時代は一事が万事こういう感じに暗く罪悪感にさいなまれる日々でした。そして大人になった今でも、私は基本的に変わっていない。
ふつうのひとなら思い込まないことを思い込んでしまう。みんなが絶対に逃したくないと思うポイントを逃す。ふつうのひとなら絶対に間違えないことを間違える。まさかそこで間違えるひとはいないと思ってみんなびっくりするか、あるいはびっくりすらしない。(あまりにも、間違えポイントとはずれているからだ)

ビザがなかなか降りないのですが、それはきっと私がふつうのひとなら絶対にやらない間違いをしたままビザを待っているのであって、きっといつまでたっても降りることはないのかも、なんて、だんだん思い始めてしまう。
ちなみに、ビザが降りなくてもスペインに行ってしまってもいいということを今日知りました。(ただし、ビザが降り次第取りにくるために一時帰国しなければならないから、超イケてる案とも言い切れないが)大使館にパスポートを提出した時点で、そのパスポートはもう使えないものと思い込んでいたのに。

と、ネガティブなノスタルジーに染まったふうに見せかけて私はいつにも増して穏やかで満ち足りた気持ちになりながら部屋で創作活動にはげんでいます。一日でいろんなものができる。私はほんとに気持ちの変化が激しいが、最終的にどうすれば自分の心を落ち着けてあげられるのかをだいたい知っている。




Posted by イシワタマリMari Ishiwata | 21:48 | Comment [3] | TrackBack [0] | 未分類

07 2007

メメントモリ

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メメントモリ
メメントモリ、
メメントモリ、マリ!





Posted by イシワタマリMari Ishiwata | 22:22 | Comment [2] | TrackBack [0] | 未分類

04 2007

タイムマシンはあるよ

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思えば遠くへきたもんなのだ。

私はひきつづき、20世紀末、ミレニアム、そして謹賀新世紀のあたりを旅し中。

ウェブサイトを新設するにあたり、自分の古い絵の画像を整理しているのである。
BGMは椎名林檎、チャラ、ドラゴンアッシュである。
私はあのころまではJPOPが好きだったよ。
椎名林檎って意外と若かったのだ。あのころの林檎ちゃんの年齢を私たちは越えたのだ。彼女は天才だ。なんてすてきなんだ・・・高揚。チャラも。
私はこれを聞いて育ったんだ。あと、江國香織と山田詠美を読んで。ドラゴンアッシュは、今聞いたってどう考えたって好みじゃないでしょう。あのころだってべつに好みじゃなかった。

それにしても私のサイトは絵をいっぱい公開しすぎでしょう。やりすぎでしょう。そこまで全部見せなくてもいいでしょう!ひとつ残らず見せたかったのだ、必死だった。もがいていた、「わらをもすがる思い」ってやつだ。いつだって居場所がなかったし、いつだって自分に自信がなかった。絵を描くよりほかなかったし、ひとつ残らず誰かに見せなければならなかった。誰か。不特定多数の、つまり誰もいない、∞の0に向けて。

思えば遠くへきたもんだ。

音楽を聞くと、絵を見ると、そのころのすべてを思い出す。私の絵はJPOPに似合う。

歴史をさかのぼって仰天する。私が絵をまともに描き始めたのはたかだか2001年なのだ。それまでだって(ものごころついてクレヨンをグーで持っていた頃から)絵を描くのは大好きだったし、高校2年生から「夜間の専門学校」的な場所に行き始めたとはいえ、もっと「よし、描こう」っていうかんじのことだった。日記を書くように、呼吸をするように、ごはんを食べるみたいに当たり前に描くようになったのは高校3年生なのだ。
ミレニアムはミレニアムというだけのことはある年だった。なのにあの頃はまだ絵を描いてなかったのだ。

それはけっこう感慨深い。なぜならミレニアムに私の人生はかなり暗い方向へガクンと傾いたからだ。暗い、といっても大したことじゃないでしょって言われるかもしれない。そもそもあの頃すでに自分の過去を「暗黒の少女時代」と呼んでいたうえに、それをうわまわる暗黒がつづき、全体的に明るくなかったところを、ミレニアムのとちゅうが急に一瞬明るかったのだ。私はたぶん、そのせいでのぼせあがって調子にのったのだ。ガクンと傾いたのはほとんど自業自得といっていい。
調子に乗っていたあの頃、私は、しかし、絵を描いていなかったのだ。
創作意欲は「幸せ感」からは生まれない、と、思う。

こないだ鹿児島で入った店のトイレの壁に「幸せは不幸な顔してやってくる」って書いてあったんだけど、たぶんそれはほんとうだ。結果的に、「なんてこった」っていう事態がかさなったあとのほうがはるかに、なんていうか、イイ。

2001年から2007年までの歴史は、私が絵を描くことを支えに這い上がってきた歴史だ、と、思う。ほんとうに言葉にできなかったんだろうな。「本を読む」でも「音楽を聞く」でも「映画を見る」でもだめだったんだ。誰も代弁してはいなかった。自分をとりまく全てのことに、「そうじゃないのに」「そうじゃないのに」「そうじゃないのに」といつも思っていた。そうじゃなくてじゃあなんなのか、ずっと探していたけど、まだわからないけど、あのころと比べたら、ずいぶん見えてきたんじゃないのか。

それにしても、昔の絵を見ると、自分がまさかこういうふうになるなんて想像もしていないような(あたりまえだけど)絵を描いている。

絵ってすごいよねえと思うのは、美術館でピカソの絵をみるとき、その絵っていうのは「あのピカソ」が実際にほんとうに現実に筆に絵の具をとって塗った絵なのだ。「あのピカソ」のパブリックイメージがどれだけ一人歩きしようと、とっくの昔に死んでいようと、そのひとはほんとうに確かに生きていて、その絵を描いていたのだ。(もしかしたら影武者かもしれない、よく写真で見かけるあの顔じゃないかもしれないし、わからない。だけどとにかくピカソらしき誰かが存在していてその絵を描いていたことは確かなのだ。)さながらダイイングメッセージじゃん、っていうか、リビングメッセージ。すごくないですか?いやいや、すごいよ。絵や「芸術品」にかぎらず、職人のつくった日用品とかもそうなんだけど。人が死んだのに、その人が生きていた跡が残ってるんだよ。すごいなあ。

だから、そういうわけで、話をピカソから自分に戻すんだけど、あのころの私が完全に新陳代謝を終えて今の私はまるっきり別の人間みたいで(いったい何をもってして私が私と決まるんだろう)あの頃の細かい記憶はうすれていて、もしかすると今思い出すことはぜんぶ捏造の記憶かもしれないんだけど、だけど絵を見ると確かにリアルなあのころの私がいる。あのころ、生きてたんだねえ。

もう全然別の人間だ。

だけど、

でもほんとうは、

あんまり変わってない。変わったと思っているのは、変わっていたいからだ。ほんとうは、変わってないの。いいところも、悪いところも。
自分次第で変われると証明したかった、たしかに変われるところもある。だけどひとってそう簡単に変わらない。いやなことは忘れちゃいたくても、捨てちゃいたくても、捨てられないし、いろいろなもの、自分のもちものとしていっしょに生きていくんだ。それはべつに悲しいことじゃなくて、いろんなもちものが、ひょんなところで顔をだすから、ああーそうだよね、って、いう、楽しみが増える。

不特定多数の誰か、つまりは誰もいない∞の0に対して虚勢をはる。昔から今も変わらないんだ。私ね、ほんとはただのあまのじゃくなんです。思い出した。

思えば遠くへきたもんだ。

死ぬのはいつも怖い。だからとにかくやっぱり死ぬ日まで生きよう。



Posted by イシワタマリMari Ishiwata | 04:23 | Comment [0] | TrackBack [0] | 未分類

01 2007

それはほんとう

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人はみんなじぶんのことでせいいっぱい。
それはいいことでもわるいことでもなくて。
ふたごはあいてがかなしいときにかなしい。
あいてが痛いときに痛い。
傷をなめあう生き別れのふたご。
あいてがかわいそうなのがかなしいは、それと同じくらいじぶんもかわいそうでかなしいからだ。

じぶんがかなしいときにあいてもかなしいと、なんだか、まるで、絆がふかまったみたいに錯覚してしまうのだから、
まったく、
この世のなにもかも、きっと錯覚なのだ。


 、







 、

人はみんな、じぶんを大事に思うのと同じくらいにだれかの存在を大事に思っている。
ふたごはあいてがかなしいときにかなしい。
あいてがうれしいときにうれしい。
人生をわかちあう生き別れのふたご。
あいての成長がうれしいのは、じぶんも生きたい、成長したいと思えるからだ。

じぶんがうれしくてたまらないときにあいてもうれしくてたまらないようすだと、なんだか、その偶然の縁の存在を確かに信じられる。そして心が強くなれるのだ。
この世のなにもかも、もしかすると錯覚なのかもしれないとしても、だけど自分の心さえ強ければ、なにもかもがほんとうなのだ。



Posted by イシワタマリMari Ishiwata | 21:12 | Comment [0] | TrackBack [0] | 未分類

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