ishiwatamarimarimariishiwatta

20 2007

子どもの領分

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フランスで出会った、孤児院からもらわれて養子として育てられている女の子。今ごろどうしてるかな。あのかわいい少女のことを、私はよく思い浮かべている。現在の両親に、ものすごくかわいがられているんだけど、ほんとうの両親のことを知らないし、いつも知りたいと願っている。現在の両親は、「ばかなこと言わないで」っていう感じだけど、それはちっともばかなことじゃない。あの子には、あの子の両親にも、私にもわからないことが、わかっている。



私には、いとこがいなかったんです。父にも母にもひとりずつ妹がいて、両方とも結婚してるんですけど、子どもができなかったの。あと、理由はわからないけど、子どもの頃おけいこごとを習っていた先生など、優しくて大好きだった大人たちの多くが、「子どもがいない夫婦」(でも会話の中から、ほんとうは欲しい、ということがわかった)だったんです。だから、私にとって、不妊の問題は子どものころから身近でした。親戚中で、「子ども」は私と妹のふたりだけでした。つまり、私と妹は親戚中から超超かわいがられて育ったのです。
私はよく、「あなたは愛されて育ったのがよくわかる」と言われる。いい意味で言われることも多いけど、これまたときどき言われる、「何の苦労もしたことがないんでしょう」というのもこれと同義語な気がする。たしかに私は、1対10くらいの割合で(1が私、10が大人たち)愛情を注がれて溺愛されて育ったから、ほんとうに、それは覆せない事実なんです。だけど、それがどんなに重かったか、つねに愛情のクサリでつながれて監視されて逃れることができない世界が、どんなに苦しい世界だったかは、うまく説明することができません。私自身はこんなにもひ弱で無力でちっぽけな存在なのに、自分の1.5倍くらいの大きさの金の服を着て、その2倍くらいの金の入れ物に入れられて、自分本来の大きさとは全然違う大きさにされているみたいな感じ・・・言いすぎかな。

昨日、ずっと見たかった映画『誰も知らない』を観ました。柳楽くんのやつです。ショッキングだった。切なくて苦しい、だけど、幸せさというか普通さ(悲惨じゃなさ)を描いている映画。私にとっては、こう言ってはたぶんいけないんだろうけど、少し、うらやましかった。自分たちで生きているという実感。工夫して生きなければ死ぬという状態。自分たちが生きているという事実さえ誰も知らない、誰も気に止めていない、という事実。誰からも望まれてないのに生まれてしまう、誰も知らないし知りたくもないのに生きてしまう、そういう、つらいけれども生のリアルに直面した状態。私には、真逆すぎて、たぶん想像がつかない、一生経験のできない世界。

つくりたい、つくりたくないにかかわらず、いのちができてしまう。(あるいは、できない。)子どものことを思い浮かべてても浮かべてなくても、セックスしちゃうし、セックスすると子どもができるかもしれない(できないかもしれない)。その悲劇的で幸福的な事実が、いのちのリアリティなんだ、て、思う。だって、この世に生きてる動物みんな、そうやって生まれてきているんだもん。そうしないと生まれてこないんだもん。

最近は忘れていたことだけど、昔の私が理解していたように、けっきょく生きることの根源にはセックスがあるっていうことだと思う。それはあるひとつの側面でしかないかもしれないけどほんとうのこと。美しいんだけど醜い、幸福なんだけど悲しい事実として。



http://homepage2.nifty.com/ishiwatamari/2002_umareru_JAP.htm

Posted by イシワタマリMari Ishiwata | 17:27 | Comment [1] | TrackBack [0] | 未分類

20 2007

夢の事件現場

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ひとは眠りについて、夢を見て、目が覚めて、眠り、夢見、目覚め、毎日死んで生まれ変わっている。夢に翻弄されないこと、今日は今日で新しい。




http://homepage2.nifty.com/ishiwatamari/200308/2003_planetarium.htm

Posted by イシワタマリMari Ishiwata | 01:42 | Comment [0] | TrackBack [0] | 未分類

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