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大事なことを見きわめる

さいきん
といってもここ3、4日のことであるが、生活のなにかが不協和音になってきている。ひらたくいえば、「ついてない」?それもまた違うけど、なんかうまくいってない。
・・・昔好きだったひとが、けっこうどうでもいい「くじ」が当たったときに、「おかしいな、ここぞというときのためにラッキーを貯金しているので、こういうところではラッキーが当たらないようにしてるのにな。」って言ってた。イシワタ原理主義の私は、あのとき、この発言に「なるほど」と思って、それからは私もそう考えるようにしている。つまり、どうでもいいときに「ついてない」と思っても、それはここぞというときのための貯金だから気にしなくていいんだ、って思うようにしている、ということ。
そう、なんだかんだいっても、「大筋は」うまくいっているのだ。今日の昼下がりは哀しさにやりきれなくて、絵を描いてまぎらわそうにも黒い絵の具を塗る気力しかなかったんだけど、
そういうときは寝ると治る。昼寝をして、目が覚めたらそれなりになってた。
これはたぶん、仏教徒の友人が教えてくれた話がうまく説明していると思う、つまり、毎日と眠りと目覚めが、死と再生と同じ意味を果たしているということ。インドで学んだいちばん大きなことは、生きていることはいつか死ぬことだという実感だった。それは隠蔽されたタブーではなくて、すぐそこにある自然だということ。私の祖父母はもうすぐ死ぬということ、祖父母はそれを見据えて生きているということ、見てみぬふりをしなければならない話題だと勘違いしているのは親族たちだけである。そして、いつ死ぬかわからないのは祖父母たちだけでなく父母も私も我が家の犬も、近所の子どもも赤ちゃんもである。私たちの生活にとって死は遠く不確かな(そしてよく病院付近でおこる)悲劇である。チベットのお坊さんは言った、「それは新しい洋服に着替えるようなことだ」と。そのぐらい自然なできごとだと。
・・・こんなこと読むと哀しい気持ちになるひともいるかもしれなくてごめんけど、私にとっては、やっと落ち着いて生きられる気がするみたいな、穏やかな発見だったんだ。そして、とにかく、
毎日生まれ変わるみたいに、眠り、目覚め、新しい服を着て新しい一日を始める。そういう毎日が気に入っている。
そういうわけで、毎日は「大筋」、うまくいっている。つらくてやりきれないような気持ち、私の悪いくせである「パニック」が起こったときも、とりあえず寝てみる、そうすると案外翌日は「たいしたことない」って気持ちになる。
こうしてる今も「たいしたことない」って気持ちがしてるけど、ちかごろの心配ごとは少しだけある。
それは、毎日の生活の中で、あなたと私の世界がすれ違ってしまうんじゃないかってこと。「失いたくない」という気持ち、それは自分を苦しめるエゴだと思う。「失いたくない」という気持ちが、望むべきジプシー生活にとっていちばんの障害になるということは定説であるし実感もしている。失うものは何もないんだよね、そう思う。いつも大事なものをみきわめて、それに嘘をつかずに生きていたら、きっとなるようになる。「失うこと」を怖がるよりも、大事なものをただ今日も大事にしよう。
そういう気持ちでそれでも思う、「そういうわけであなたを失いたくないんだよね、」と思う。
麻
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Posted by イシワタマリMari Ishiwata | 21:54 | Comment [2] | TrackBack [0] | 未分類
