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26 2007

やまびこ

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いま必要なのは言葉じゃない。

私の頭の中はまた言葉でいっぱいになってしまって、


「うわあ!」


と叫びたい、静かな山の上にひとりになりたい。
いつでも素直だけどいつでもよそゆき、あーあ最近やっぱそんなかんじ。昨日は突然ハイになったんだけど、ちょっとしたはずみで、「仕事」と「仕事じゃない」、またそういうこと考えるきもち。



「うわあ!」


インドのカングラで、山のうえで叫んだとき・・・

姿の見えないアミートくん(インドの青年)が遠くのほうで、山に向かって動物みたいに

「@+*!」

と叫んで、なんか「私も!」と思って

「@+*!」

と叫んだ。遠くから笑い声だけが聞こえて、しばらく「@+*!」「@+*!」「@+*!」と、アミートと私とやまびこが4人で動物の会話する。

あのときの、生まれて初めて自然と一体になったみたいな気持ち。
今思い出したいのは、あの気持ち。



http://new.photos.yahoo.com/album?c=juzpixel&aid=576460762395952679&pid=&wtok=pHO0YeyzHy83N3U3pvkPRQ--&ts=1177396053&.src=ph



Posted by イシワタマリMari Ishiwata | 11:40 | Comment [0] | TrackBack [0] | 未分類

25 2007

さいきんうれしい

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なんかさいきんまた生きててものすごく楽しい!「仕事」と「仕事じゃない」について書いていたときは、やっぱりちょっと楽しめていなかったのだ。

(参照:

「仕事」と「仕事じゃない」2
http://mariishiwata.blog63.fc2.com/blog-entry-149.html

「仕事」と「仕事じゃない」
http://mariishiwata.blog63.fc2.com/blog-entry-148.html )

人人人にまみれて疲れるのは自分を見失うからなんだけど、その同じ顔ぶれなはずの人人人に囲まれて自分をもういっかい見つけ出す。今の私には大切な人がすっごくたくさんいて、思わず朝目覚めたときに「神さまありがとう」と言いたい。



http://new.photos.yahoo.com/album?c=juzpixel&aid=576460762395952679&pid=&wtok=pHO0YeyzHy83N3U3pvkPRQ--&ts=1177396053&.src=ph

Posted by イシワタマリMari Ishiwata | 14:07 | Comment [0] | TrackBack [0] | 未分類

24 2007

Photos from India

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FInally I've got the photos from my friend in India!

SPA(School of Planning and Architecture),New Delhi,India,
24 March, 2007>

インドでのライブペインティングのパフォーマンスのようすです!
↓↓↓↓↓↓↓↓
http://new.photos.yahoo.com/album?c=juzpixel&aid=576460762395952679&pid=&wtok=pHO0YeyzHy83N3U3pvkPRQ--&ts=1177396053&.src=ph


Posted by イシワタマリMari Ishiwata | 16:48 | Comment [0] | TrackBack [0] | 未分類

20 2007

ライブペインティングやります

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ひさびさに東京でライブペインティングをやります!

ちょっと異色ですがこんなJ-POP(!)のオーディションイベント(!)にゲスト出演させていただくことになりました。もしよかったら応援にきてください。


*******


”SCHOOL OF SCHOOL powerd by MSNミュージック organized by EMI ARTISTS”

【DATE】 2007 /4 /27 (Fri)
【TIME】 OPEN/START 18:00 (-20:30)
【PLACE】代官山UNIT
http://www.unit-tokyo.com/index.html
【CHARGE】 Door 2,000yen (1D付) / wf 1,000yen(1D付)
※受付で私の紹介といえばentrance freeになるようです。

“SCHOOL OF SCHOOL”は東芝EMIとMSNが協力し、日本全国の音楽系教育機関(大学・短大・専門学校・高校・インタースクール他)約400校を対象に、2006年夏にスタートしたオーディションです。

Webサイト 
http://music.jp.msn.com/school/


期待を集めるWINNERや優秀ファイナリストの発表・パフォーマンスに加え、参加プロデューサーやSpecialゲストDJ UPPERCUTのパフォーマンス、イシワタマリによるライブペインティングなど内容盛りだくさん。
オーディションのレセプションにしてクラブ・イベント。
最高に楽しめるSCHOOL OF SCHOOLの“FINAL”です。


***


http://homepage2.nifty.com/ishiwatamari/

Posted by イシワタマリMari Ishiwata | 23:59 | Comment [2] | TrackBack [0] | 未分類

17 2007

スペインからのメール

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今スペインからきたメールがなんとなくおかしくて心がなごむ。けっきょく丸丸一年スペインとご無沙汰になるんだけど(昨年9月から今年9月まで)、やっぱりこういう感じが大好きである。
ときどき連絡が滞ってそわそわするけど、その間もお互いちゃんとやってるっていうのがわかると士気があがる、いっしょにがんばろう、と思う、ほんとうに大好きなパートナー。そして、私の世話がとってもじょうずなおねえちゃん。あっぱれ!!

以下、バネッサからのメールの直訳。

***


マリ!!!!!よし、私はまだ家にいるよ。今マリのポートフォリオを作り終えるところです。ウワォ!すごく見栄えがいいよ、あなたの作品とか写真とか、パフォーマンスとか、展覧会とか、ワークショップとか・・・インドとかスペインとかボルドーとか東京とか・・・・・。

Ok,じゃあ●●が××で**ね、(←仕事の詳細)●●もやっときます。

遅刻!!!!!キス!!!



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Posted by イシワタマリMari Ishiwata | 17:39 | Comment [0] | TrackBack [0] | 未分類

16 2007

「仕事」と「仕事じゃない」2

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また新しい週が始まりました。

「仕事」と「仕事じゃない」について書きましたが、ある意味では自分の中で明確な区別がついている。「仕事」はつまり、いろんなひとの人生と生活の事情と文脈がからまりあって逃げることができない。逃げることができるのが、「仕事じゃない」だと思う。

要するに私の人生はずっと「仕事じゃな」くない。

正直に白状すれば、たいせつな恋人とゆっくり過ごす週末も、なんか「仕事じゃな」くない。
これっていいのかわるいのか、どっちかっていうと聞こえが悪いけど、言い換えれば私はいつも相手に誠実でありたいし、相手の事情と文脈を考慮したい。
そんなできた人間には見えてないかもしれないし実際できてない人間だが、つとめてそんな人間イシワタマリの全生活に誠意を持っていたい。

だから人生ぜんぶお仕事、でもそれは楽しいお仕事です。
お仕事しながらリラックスしたいわけだ、でもそれこそが最大の難関。いま、立ち向かっているのはすべてそれ。何が誠意なのか、何が自分にとってのリラックスなのか、何がそれぞれにとっての誠意/リラックスなのか。

以前、家の近所で犬の散歩をしていたら、ちょっと異次元から来た感じのおばさんがうちの犬に向かって「あらーお仕事えらいわねーえ!」と異次元ヴォイスで言ったのを思い出す。(あの無機質できれいすぎる住宅地において、この変わったおばさんの登場はうれしかった、私には。)
あと、こないだ、うちの父が幼稚園のときに使っていたらくがきちょうを見せてもらったんだけど、その表紙はひらがなで「おしごと」と書いてあるデザインだった。

よくわかんないけど数十年前ってもしかして「お仕事」の意味が本来の「お仕事」の意味だったの、かもしれないじゃないですか。

サラリーマンが満員電車で通勤したり、キャバクラ嬢が彼氏いないって嘘ついたりすることだけじゃなくて、犬が歩いたり、幼稚園児が絵を描いたり、私が生きたりすることも、「お仕事」でいいのかもしれないじゃないか。




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Posted by イシワタマリMari Ishiwata | 12:50 | Comment [0] | TrackBack [0] | 未分類

14 2007

「仕事」と「仕事じゃない」

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なんかしらないがものすごく疲れて眠い。
春だ。
自分がとてもわがままな代物になった気がしてむずむずする。

とはいえ今週はよく働いた、生産的な週であった。思えば長い1週間(月〜金)であった。
私はいわゆる会社勤めではないんだが主に勤め人たちと行動をともにしているので月〜金に働いて土日はちゃっかり週末気取りである。
私の生活の恵まれているところ、と同時により一層疲れるやっかいなところは、「仕事」と「仕事じゃない」の区別がはっきりしないところである。私の生活はオンとオフではない。つねにオンといえばオンだし、オフといえばオフ。なんというのか、ずっと楽しているようで、ずっと逃げ場がない。
最近徐々にどんどんはっきりとしてくることは、私の生活はこれからもきっとずっとこういうことなんだろう、ということである。恵まれている、そしてやっかいである。
もし「仕事=いやなこと」だとすれば、好きなこと、楽しいことをしているときが「仕事じゃない」「遊び」のとき、なんてことになるのかもしれない。「仕事=スイッチオン」であれば、スイッチオフるときが「仕事じゃない」「リラックス」「息抜き」とかと言えるかもしれない。

つねに仕事、あるいは仕事が趣味、または生き甲斐、と言い換えれば、つまりいうなれば私は団塊の世代のサラリーマンにも似たモチベーションで生活していくという感じである。

それにしても人はなぜ「いかにして生きるか」などというこざかしいことを考えているのだろう。いかにして、もなにもない。
もっとシンプルに生きよう。
すべては明確である。



  ○

もうお酒飲むのやめようかなって思う、なんか思考回路がふわふわするんだぜ。どちらかというとずっとしゃんとしていたい。ふわんとしていたほうがいいときもあるんだけど、せいぜい週末だけでいいんじゃないか。
そうだな。



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Posted by イシワタマリMari Ishiwata | 01:15 | Comment [0] | TrackBack [0] | 未分類

13 2007

うたかたバブル

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酔っ払っちゃった!!!
ひさしぶりに!!



Posted by イシワタマリMari Ishiwata | 00:52 | Comment [0] | TrackBack [0] | 未分類

10 2007

大事なことを見きわめる

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さいきん

といってもここ3、4日のことであるが、生活のなにかが不協和音になってきている。ひらたくいえば、「ついてない」?それもまた違うけど、なんかうまくいってない。

・・・昔好きだったひとが、けっこうどうでもいい「くじ」が当たったときに、「おかしいな、ここぞというときのためにラッキーを貯金しているので、こういうところではラッキーが当たらないようにしてるのにな。」って言ってた。イシワタ原理主義の私は、あのとき、この発言に「なるほど」と思って、それからは私もそう考えるようにしている。つまり、どうでもいいときに「ついてない」と思っても、それはここぞというときのための貯金だから気にしなくていいんだ、って思うようにしている、ということ。

そう、なんだかんだいっても、「大筋は」うまくいっているのだ。今日の昼下がりは哀しさにやりきれなくて、絵を描いてまぎらわそうにも黒い絵の具を塗る気力しかなかったんだけど、

そういうときは寝ると治る。昼寝をして、目が覚めたらそれなりになってた。

これはたぶん、仏教徒の友人が教えてくれた話がうまく説明していると思う、つまり、毎日と眠りと目覚めが、死と再生と同じ意味を果たしているということ。インドで学んだいちばん大きなことは、生きていることはいつか死ぬことだという実感だった。それは隠蔽されたタブーではなくて、すぐそこにある自然だということ。私の祖父母はもうすぐ死ぬということ、祖父母はそれを見据えて生きているということ、見てみぬふりをしなければならない話題だと勘違いしているのは親族たちだけである。そして、いつ死ぬかわからないのは祖父母たちだけでなく父母も私も我が家の犬も、近所の子どもも赤ちゃんもである。私たちの生活にとって死は遠く不確かな(そしてよく病院付近でおこる)悲劇である。チベットのお坊さんは言った、「それは新しい洋服に着替えるようなことだ」と。そのぐらい自然なできごとだと。

・・・こんなこと読むと哀しい気持ちになるひともいるかもしれなくてごめんけど、私にとっては、やっと落ち着いて生きられる気がするみたいな、穏やかな発見だったんだ。そして、とにかく、

毎日生まれ変わるみたいに、眠り、目覚め、新しい服を着て新しい一日を始める。そういう毎日が気に入っている。

そういうわけで、毎日は「大筋」、うまくいっている。つらくてやりきれないような気持ち、私の悪いくせである「パニック」が起こったときも、とりあえず寝てみる、そうすると案外翌日は「たいしたことない」って気持ちになる。

こうしてる今も「たいしたことない」って気持ちがしてるけど、ちかごろの心配ごとは少しだけある。
それは、毎日の生活の中で、あなたと私の世界がすれ違ってしまうんじゃないかってこと。「失いたくない」という気持ち、それは自分を苦しめるエゴだと思う。「失いたくない」という気持ちが、望むべきジプシー生活にとっていちばんの障害になるということは定説であるし実感もしている。失うものは何もないんだよね、そう思う。いつも大事なものをみきわめて、それに嘘をつかずに生きていたら、きっとなるようになる。「失うこと」を怖がるよりも、大事なものをただ今日も大事にしよう。
そういう気持ちでそれでも思う、「そういうわけであなたを失いたくないんだよね、」と思う。



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Posted by イシワタマリMari Ishiwata | 21:54 | Comment [2] | TrackBack [0] | 未分類

06 2007

ジプシーの妹

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今日はけっこういいことがあった、すてきなジプシーの女性に出会った。
私のかねてからの願いはジプシーになることと魔女になること。

「ショコラ」という映画がもういちど見たくなった。

パントゥフル




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Posted by イシワタマリMari Ishiwata | 02:49 | Comment [0] | TrackBack [0] | 未分類

03 2007

インドの工事現場ファッションチェック

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インドの道では・・・

お姫様か、舞台衣装か、っていうほどきらびやかに着飾った女性たちが、工事現場で力仕事をしていました!!!!!

駅じゅう、町じゅう、超ど派手な色だらけなのです。工事現場のひとたちは、確実に裕福ではないんだけど、そこで着飾ろうというところが好きでした。
日本で派手すぎて冷たい視線を浴びている私にとっては、女性たちのファッション(老若)はインドの好きなところのひとつでした。(ちなみに、それは奇抜なのではなく、全部伝統衣装。というところも好きなところ。伝統衣装じゃないひとは、ただのジーンズとTシャツ、など、逆に地味。)
私のショッキングピンクのズボン(フランスで買ったけど、じつはインド産)も、まったく派手すぎではない。日本では、祖母に、「頼むからその派手なパジャマを履いて外に出るのはやめてくれ、おばあちゃまのズボンを貸してあげるから」とまで言われたかわいそうなズボンちゃん。インドではかなり平凡なズボンでした。

日本の駅や町(渋谷とか、原宿とかはまた別なのですが・・・)は、どうして黒とかグレーが多いのかな?!

あと、インド人もチベット人も、女性の8割くらいが黒いアイラインで目をかこんでいるところも好き。私も、アイラインだけは欠かさないようにしよう、と最近きめたばかりだったので、インドで再確信しました。それは、何をさしおいても、目をかこむかかこまないかで第一印象および会話のなりゆきが全然違うからね。かわいく見えたい、とかモテたい、とか身だしなみ、とかというよりは、目でしゃべるためです。まつげとかアイシャドーとかはどうでもよくて、「これが、私の、目(そして心)です!!!」という、がくぶちです。

(パイレツオブカリビアンのジョニーデプ参照。)

秘密をばらしてしまいました。
みなさんも目をかこんでください。




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Posted by イシワタマリMari Ishiwata | 18:14 | Comment [5] | TrackBack [0] | 未分類

03 2007

インドの旅の縁の糸

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昨日の朝インドから帰ってきました。
そのままお花見に直行しました。桜が満開の週末が、日本の一年でいちばん好きな日だから・・・よかった、ぴったり間に合って。暖かくて・・・すごい日本らしい(東京らしい)日を満喫。

とはいえ、やっぱり、日本に帰ってきて、インドの気持ちがぴゅーんと消えていってしまうのは残念なので、忘れないうちに書いておかなくってはいけない。

インドでの滞在は・・・・

ほんとうにびっくりするくらい、現実がスピリチュアルだった。
私の頭の中で思い描いていたこと/だけど絶対無理だと思っていたこと/かたちにするすべが思いつかずに途方にくれていたこと が、現実に起こっている場所だった。

パフォーマンスとワークショップもとっても感動的な経験になりました。たくさんのことを学んだ。
(パフォーマンスのようすの写真はこちら)

http://new.photos.yahoo.com/album?c=juzpixel&aid=576460762395952679&pid=&wtok=pHO0YeyzHy83N3U3pvkPRQ--&ts=1177396053&.src=ph

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ニューデリーについてまずびっくりしたことは・・・大きな木(その木からは三日月のかたちの黄色い葉っぱが散って、芝生の上にもようを作っている)に、鳩と、シマリス(!)と、美しい緑のインコ(!くちばしは赤)がたくさんいる。私たちが木の下で朝ごはんを食べていると、私たちの体や食べ物にはハエがたかり、となりではびっこをひきながら歩く犬がおしっこをし、木の上ではリスや鳥たちがごはんを食べている。みんながそろって生きているっていうことが、すごく当たり前だっていう気持ちになる。

ライブペインティングのパフォーマンスをしたのは、ニューデリーの建築と産業デザインの大学でした。学食(すごい好きだった!)の外にきもちのいい場所があって、木の下のたまり場みたいなところがある。学生さんたちに手伝ってもらって、その木の下に大きな白い布(ニューデリーの市場で買ったもの)をひいて、メガという女の子にも白い布を着せて(ジュヒという女性のお母さんに、民族衣装のサリーのようにして着せてもらった)、そこに絵を描いていった。あの木(鳩とシマリスたちと緑インコたちがいる)、の絵。そのまわりを、学生さんたちが輪になって座って見ている。すぐとなりには大きな道路があって車がザーザー走っており、歩行者たちが立ち止まって柵の向こうからずっと見ている。
パフォーマンスが終わると学生さんたちからの質問タイムになって、まるで授業みたいになってとてもうれしい気持ち。(元来私は学校の授業がすごく好き、先生と生徒の会話が活発であるかぎりは。)みんな次から次へと質問をしてくれて、素直な感想を知らせてくれる。木の下で。私もなるべく素直に答えて、いろいろ会話ができて、すっごく嬉しかった。学校でこんなことしたいよね。したいよ。学生がしらけて黙ってたり先生のことをあざ笑ってたり携帯でメール打ち続けてたりしたら先生悲しいよね。悲しいから現実逃避してつまらない講義を延々しゃべり続けちゃうよね。

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ニューデリーの滞在のあと、夜行列車と車で13時間ぐらい(!?)かけてヒマラヤのほうへ。チベットっていう国ってもうないって知ってた?私の無知ぶりはひどいので、中国にチベット自治区があるって聞いたことあったけどそのほかにチベットって国もあると思ってた(考えてみたらそんなはずないよね)。チベットの亡命政府はインドの中にあって、ダライラマもインドにいるのです。知らなかったの。
その、ダライラマの住んでいるダライマサラから1時間くらいのところにあるビルという村に滞在した。チベット人のエリアと、インド人のエリアがある村。もともとはチベット仏教のお坊さんたちの修道院であった建物が、Deer Parkという施設になっている。チベット語やチベット仏教の勉強を教えたり、仏教やアート関係のワークショップをしている施設みたい。ここで私は、ゴミを使ってプレゼントを作るワークショップをやった。5歳〜13歳くらいの子が10人くらい集まったのだけど、(チベットの子どもたちはいなくて、みんなインドの子)全員男の子だったの。私は小学校から女子校で、兄弟や親戚の男の子もいないから、それを聞いたときはちょっと焦ったのですが・・・日本ではついぞ見たことのない、衝撃的なほどにまっすぐな少年たちばかりでした。最初はポカンとしていたんだけど、まず、施設の中にあったゴミを使って、全員で協力して一匹のライオンを作ったあたりから何人かの男の子たちがヒートアップしてきた。それから道にゴミを拾いに行って、(残念なことに、きれいな村の道や川にはゴミの山ができている。これからどうにかしよう。)それを使ってそれぞれの作りたいものを作ってもらったんだけど、すばらしいボートや、車や、家や、爆弾(?)、っていう男の子っぽいものとか、花とか、作ってくれた。最終的に「プレゼント」っていう概念がいまいち伝わらなかったみたいで、あげく、全員作ったものを施設に置いて帰っていったものだから、ジェニファー(施設のひと、台湾出身)と私は、「あの子たちは私たちをがっかりさせないためだけにやっていてくれたのかな・・・」とちょっと悲しく?申し訳なく?思った。(子どもたちはヒンズー語しかわからないので、私たちは実は通訳不足のままワークショップを終えた)だけど、あとで聞いたら、子どもたちはすごく楽しかったって言ってたらしかった。このできごとは子どもたちにとってすごく新しくて刺激的なことだったらしかった。「僕もアーティストになりたい」って言った子もいたんだって。驚くべきことは、ランチの後、頼んでないのに私がいない間に子どもたちが部屋をきれいにかたづけたってことで、さらに私の似顔絵を描いて壁に貼ってあった。ちなみにその似顔絵は全く似ておらず、髪が長く、服装も違う女の人なんですけど、(女の人=髪長なのかな)私だって言ってた。
自主的に部屋を片付けるってどういうことなのかな、ってジェニファーと私はほんとにびっくりしてしまった。日本や台湾では見たことのない子どもたち・・・全く甘やかされていない・・・いつも家の仕事を手伝っているからなのかな。

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今日のご飯を食べるのがやっとの人たちにとって、アートほどどうでもいいものはない、のかどうか。私はずっと考えていた。もしそうだとしたら、私はそんな無意味なことをやっていく自分をどう正当化したらいいのかわからなかった。
子どもたちにとって、満足にご飯を食べること、健康を維持すること、そして実質的な根本的な教育を受けること、それがいちばん大切だ。母国語が読み書きできて、さらに英語が読み書きできれば少なくともずいぶん希望が広がる。だけど、持ち物の多さ少なさにかかわらず、みんなが持っているのが、「時間」なの。私がなぜいつも「忙しい忙しい」と言ってしまうのかはわからない、なぜたくさんの人が時間を切り売りして走りながら生きているのかはわからないけれど・・・もし、インドの子どもたちが、自分の持っている時間を変換することで、何かを作り出すことができるっていう遊びを覚えたら?

初等教育の中で、図工や音楽(情操教育、なのかな)は、国語や算数と比べたらどうでもよくて、いちばん「プラスα」な存在なのかもしれない。お金持ちでエリート教育の道を歩む子ほど、ピアノやバイオリンや絵画を習う機会に恵まれるかもしれない。だけど、エリート教育の籠の中で育ったと言える私にとって、「絵を描く」ということ、「何かを作り出せる」という事実が救いだった。貧困の籠の中にいる子どもにとっても、同じ事実が救いにならないだろうか。

貧しくても裕福でも、どんなにたくさんのものが手に入っても、人間は絶対に満たされることがないと思う。幸せは自分の心が決めることだ。危機的な世界に対して私ができることは、こういうことなんじゃないのかな?

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インドから帰ってきた日本人がかなりの確率(イシワタ調べ)で口にする有名なフレーズをご存知?
「人生観が変わった」
である。なんで?どういう意味?それっていいの?悪いの?と思っていたけど、そっか、その気持ちもわかるな、って思った。
でも、私の感想は人生観が「変わった」というよりは、人生をほんとうに生きている人たちの世界を見て「安心した」っていう感じがする。

インドにいる間じゅう感じていたことだけど、こういう意味で日本とインドはとっても対照的だと思う。日本に帰ってきて・・・やっぱり少し苦しい。どうして、みんな、単純で表層的な、魂を欠いた会話に終始することができるのかな。どうして、インドでは、もっと生きることの奥深くをシンプルに、クリアに、リアルに、毎日実感できてる感じがしたのかな。
インドで出会った人たちの辞書に、「しらける」という言葉はないみたい。日本人はどうしてこんなにしらけてるのかな。しらけてないとやっていけないこういう感じ、どうしてなのかな、これって悲しい。

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私は大学時代宗教社会学を専攻しており、日本の現代社会における新宗教(新興宗教)についてもたびたび勉強する機会に恵まれていました。日本の一部の人たちがインドのスピリチュアリティに傾倒して、結果的に日本社会に戻っていけなくなったり、破壊しようという方向に流れていった経過(有名な地下鉄の事件とか)など、そのリアリティを理解した気がした。

私が感じたことは、↑の日本人たちが感じていたことと似て非なる、だけどよく似た経路で発生したに違いない気持ちだった。
それは、日本をもっとよくしたいということ。世界をもっとよくしたいけど、とくに、自分が生まれ育った国のこの危機的な状況を。
私のまわりには同じ気持ちをもった、上の世代のひとたちもいるから・・・ゆっくりゆっくり、私にできることをしていきたい。

こういうことを言葉(日本語?)にしたとき、たぶんいくつかの人たちが感じるかもしれない「うさんくささ」はいったい何なのだろう?日本語のせいなのか、日本社会の文脈のせいなのかな?日本ではどうして、「宗教=うさんくさい」のかな。私は特定の宗教は持ってなくて、実際に宗教のうさんくさい(不健康な)側面もたくさん感じるけれど、健康的な側面もたくさん感じる。ほとんどぜんぶの宗教が混在してるみたいなインドで、なんか、日本では機能していない当たり前のことがちゃんと存在しているっていう感じがした。
私はインドで、片言の英語で、日本の状態や私が将来やりたいことについてしゃべったけれど、それは、しゃべる相手がこのことをもっと根本的に受け入れているとわかったからだった。私にはかなりはっきりとしたビジョンがあるはずなんだけど、それを言葉にすると自分が非現実的で無知なばかみたいに思えていたんだ。日本語のせいなのか、日本社会の文脈のせいなのかな?日本ではどうして、全部うさんくさく聞こえちゃうのかな。

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こういうことを言っていても、インドに行って、日本のことが嫌いになったわけじゃないの。インドと連なった日本のこと、すごく愛しく思えた。誇らしくも思えた。私の母国が日本で、そのルーツのいくつかがインドにあるってことを、嬉しく思った。あと、チベット人の顔は日本人にそっくり。あいさつのしかたや微笑み方のやわらかさも、日本ぽくって懐かしい。西洋人のハグ・キス・ウインク、みたいなカルチャーショックと比べると、すっごく、仲間っぽい。生きていることや死ぬことに対する受け止め方、目の覚めるような思いだけど、それは、未知の別世界を見たというよりは、自分たちの本来の姿を見せられたような気持ち。

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インドでは、いくつかのすばらしい出会いもあって、インド人だけでなく、インドに集まった外国人たちもまたそうだった。外から来た人たちのほうがよりいっそう、そうなのかもしれない、私は場所の力を信じている。人々はみんな、何らかの理由でその場所にひかれたり、あるいは何かの縁に導かれて、外からその場所にやってくる。そのひとたちは、その場所が持つ特徴に引っ張られて集まってくるのだ。ニューヨーク、ロンドン、スペインのいくつかの都市、日本なら東京、京都、そして今回のインド(特定の街の性格はまだよくわからないけれど)で、それを思った。
インドでは、吸い込まれそうな魔法の目を持った人にいっぱい出会った。目を見たら、どんな人かだいたいわかる、っていうのはほんとうなの。言葉が不自由でも、このひとには通じている、いない、というのはわかる。その場所にいる人たちの、感じる心の強さや、生きているという実感の強さ、目の力の強さを、こんなふうに感じたのは、インドが初めてだったって思う。

インドでは、ほんとうに、私が頭の中で思い描いていたこと/だけど絶対無理だと思っていたこと/かたちにするすべが思いつかずに途方にくれていたこと が、現実に起こっているっていう印象を受けたの。

また行く!
縁のネットワークと、未来を信じる。

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Posted by イシワタマリMari Ishiwata | 02:03 | Comment [8] | TrackBack [1] | 未分類

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