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父と娘、にんにく、姉妹惑星のおさななじみ

世の中の、つれない娘を持った、かわいそうなお父さんたちに朗報。
最近またよく思うけれど、けっこう事実なのかなと思うことは、世の中の女性はだいたい何らかのかたちで父親コンプレックスを持って生きているんじゃないかな。
私自身についても最近よくそう思う。
家に帰ると今日もまた父親につれない態度をとっており、それは別に「強がり」とか「照れ隠し」といった意味合いではなく、実際問題日常生活の世界では父のことはどうでもよく、その存在はむしろけむたいんだけど、その実、ほんとうのほんとうの私の精神の世界ではいろんなことがかなり父親を中心にまわっている気がする。イメージの父親の父親のイメージなのか。
身の回りの女性たちを見ていてもよくそう思う。
これは古来から当たり前のことではあるとしてもかなり興味深い事実だよねえ。
まあ、考えてみれば当たり前なのかなあ・・・
息子と母はどうなのかなあ・・・
男と女の神秘は今日も奥が深いよねえ・・・
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今日は楽しかったことがあった。とある「不思議でいいかげんな家」にて、異常な量のにんにく(かなりにょっきりと芽が出ている)を発見したので、そのうちのいくつかを土に植えて、成長するかどうか観察してみることにした。なんかすごく興奮した。なぜ興奮したかというと、シャベルや植木鉢といった便利な道具が全然なかったから。「ありあわせのもの」としてはカンペキなものがそろっており、それというのはペットボトル、土、石、カッターナイフ、紙やすりを持った青年、そして芽が生えた大量のにんにくだったんだけど、なんかかわいい鉢植えにんにくができたのでとても満足した。中庭の土を石で掘りながら、なんともいわれぬ幸福感にまみれている自分が、まんまとその「不思議でいいかげんな家」の野望にはめられているって気がした。紙やすりを持った青年はとても変わったひとだったし、「たぶん育たないと思うよ」って言ってたけど、まあなんとなく今日は満足した。
私は最近また少し人に会いすぎたのでたとえ半日でも安静にして自分を取り戻す必要がある。
今、韓国のソウルからミンキョンが来ている。もうひとりの大好きな女の子、ソンヒは来れなかった。懐かしくて大好きな女の子たち、思い出たち・・・。
でもそれは少しだけ玉手箱のようで、私はほんとうに、2006年の夏に変わってしまった。彼女に会うのは久しぶりで、彼女は全然かわってないし、マリも変わってなくてよかったって言ってたんだけど、私はほんとうは、大学を卒業してからほんとうに変わってしまったんだ。ミンキョンはまだ大学生だから、きっとだからなの。「これだから学生は甘いんだよ」なんて、そんなフレーズは絶対に言いたくないの。だけど時間がたつと世界がかわる、立場がかわると。それを「大人になる」だなんて言いたくないの。ただ、ひとはいつも変化していく。それだけのこと。
ただ、昔から思っていることは、同世代の外国人との関係はほんとうにうれしくてどきどきするってこと。同じ時代を生きてきたというシンパシーと、その時間たちを完全な異空間で過ごしたというエキゾチックな関心が両方あるの、とくに日本と韓国という「姉妹惑星」みたいな間柄は、今でも私の中で衝撃的な大切などきどきなの。
今回日本に来られなかったソンヒのほうが、大学卒業が近いので、彼女のほうが、私と同じ気持ちを共有しているような気がする。ソンヒは私のためにアクセサリーを作ってミンキョンに託してくれて、私はほんとにうれしかった。私たち3人は、2年前から、折に触れてプレゼント交換を繰り返している。自分が昔身につけていたものとか、最近作ったものとか、そういうちょっとしたもののプレゼント交換。それが私の好きなポイントなのよ。女の子たちのクラ交換。これからもずっと、日本か韓国かあるいはどこか別の場所で、何度も会える、そのたびにプレゼントを交換していくんだろうな、それぞれ人生を生きていきながら、近くて遠くて近い姉妹惑星のおさななじみのことを思うんだろうね、それが私にとってとてもうれしい喜びなのよね
麻
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Posted by イシワタマリMari Ishiwata | 01:53 | Comment [0] | TrackBack [0] | 未分類
鏡のはなしと金のはなし


私はいつも鏡になる。
外を(誰かを)見るとき/聞くとき/触るとき/読むとき/感じるとき/嗅ぐとき/食べるとき。
すべての何かは誰かが生きていた(生きている)ことの証。人はすべての仕事(労働、言葉、動き、表情、絵、音…)を通して人生を生きている。その生きている(生きていた)そのひとの証と会話しながら、私はいつも鏡になる。私の半分はそのひと自身になる。なる、なっちゃう、同一のものにメタモルフォーゼする。私のもう半分はそのメタモルフォーゼを否定して残っている。その残った部分が「私」なのかというと、べつにそういうわけではないと思う。外の誰かに「なってしまった半分」と「ならなかった半分」、その両方がいつも「私」なの。だから、「私」はいつも違うの。いつも違うとしても、つじつまは合ってるの。
きっと、私だけじゃなくてみんなそうなの。「ほんとうの私」なんてないの、そういうものがどこかに隠れているわけじゃないの。私たちはみんな、毎日の仕事(労働、言葉、動き、表情、絵、音…)を通して「ほんとうの私」を生きている。
*
お金をもらうこと、お金をもらう価値のあることをすることは大切だと思う。なんらかのかたちで。私はお金をもらえることもするしもらえないこともするけど、
私は金のたまごを産むアヒルはいらないよ。安心はいらないし持ちものはいらない。もし、たとえば、たとえばだけど、私が何をしてもしなくても金が∞に湧いてくるとして、そしたら、私はどうやって生きたらいいのか、わからなくなってしまうかもしれない。
でも金に金以外の何かがこもっていたのなら、そのときもそれを「いらない」って言えるの?
もしかしたら、そのとき大切なことは、アヒルのからだの中の金の泉が約束する∞の未来じゃなくて、そのかわいいかわいいアヒルちゃん自身をプレゼントする今の瞬間のことなのかもしれないんだから。
麻
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Posted by イシワタマリMari Ishiwata | 17:38 | Comment [0] | TrackBack [0] | 未分類
嫌われイシワタマリの一生

「マリは嫌われ松子みたいだね」
と友達に言われたことがあったのでずっと気になっていた『嫌われ松子の一生』(もちろん映画のほう)をついにDVDで観ました。まさにまるでイシワタマリのもしもボックスでした。
もしもあの日あのとき何かのボタンのかけちがえがあったら私は間違いなくああだわ。
しかしあの日あのときとはいつ?ボタンのかけちがえはどこに?
と、犬の散歩をしながら考えてみたんだけど、ポイントはいくつかあるけど、やっぱり、私に「絵を描くこと」がなければ、ああなった可能性は大だった。
また、あの日あのときを時期的に特定するならば17〜19歳くらいでしょうか。もうちょっとで私も、殴る男と付き合う(というより普通の男を殴る男に仕立て上げてしまう)尊厳のない女になりかねなかったであろう、くわばらくわばら。
でも私と松子の大きな根本的過ぎる違いは家族にあるかもしれなかった。つまり私は根本的に松子になるには家庭に恵まれすぎている可能性はあります、うちの家族は、娘に何が起きても戻ってきたら受け入れるんじゃないか。な。な。あくまでも予想ですが。でも娘が家族を破壊した(と信じ込んでしまったら)らどうかな。人生はいつも未知だね。松子になる可能性はまだ消えたわけではない。
でもあの映画でいちばん悪いひとは松子の弟だよね?!ね?!
そして今日ふいに観たこの映画が明日の私への大きなヒントになりそう。
それから、出演していた幾多のイケメン俳優を差し置いて私がいちばん萌えっとしたのは劇団●とりの愛人になるところだった、私の「恋人にしたい芸能人ランキング」の上位は劇団ひ●りだってご存知?あとは松本●志ね。
しかしすごくいい映画でした。大変好みでした。
よくもまあ同じあらすじとタイトル使ってただの他人の不幸は蜜の味みたいな残念なドラマを作ったなあ。(少ししか見たことがないのですが・・・。)この素敵な映画の素敵なメッセージが台無しじゃないか。
残念残念。
ポイントは松子の一生はこのうえなく幸せだったということだと思うんだけど。
麻
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Posted by イシワタマリMari Ishiwata | 17:17 | Comment [2] | TrackBack [0] | 未分類
動物たちと私たち

Gregory Colbert
http://www.ashesandsnow.org/
Gregory Colbertの展覧会を見に行きました。
こんなに見てよかったのは久しぶりかもしれません。
私の理想の世界・・・
動物たちがまるで人間みたいで、人間たちがまるで動物みたいな世界・・・
昔から私が憧れてきた世界・・・
うっとり。
そういうことなんだよなあ、って思った。私が好きなのは動物園じゃなくて、人間園でもない。私が好きなのは動物で、動物のうちのひとつの種類としての人間のことが好きなのだ。
こういう世界を追求していいんだなあ、と思ったらうれしくなった、&自分を叱った。私の絵の中の動物には、いのちが吹き込まれ足りないっていうこと、わかってたのにほっといてたんだから。
自分の成長といっしょに絵の中の動物のいのちを育む練習をしないで、動物を描くのって子どもっぽいことかな、なんて無意識に思っていた気がするの。自分の未熟さの理由を別のところに押し付けてた気がするの。
私が求めているのは、ほんとうはこういう世界なの。
(なのかというと、そうとも言い切れないのかもしれない。ようするに私は今、まだ道草くって迷っている。)石渡麻里23歳、動物たちといっしょに暮らせるようになるのはまだです。まだなのです。
麻
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Posted by イシワタマリMari Ishiwata | 21:24 | Comment [0] | TrackBack [0] | 未分類
月からきた

さよなら
日本で出会った外国人が自分の惑星に帰っていってしまう瞬間
私の生活の中に当たり前に登場していた人が、突然ぱたっと登場しなくなる瞬間
それはいつもすごくせつない。これまでにもう何度も体験したこと。
東京メトロポリスではnobody but gaijinにならなくちゃいけなくて、きっといろいろ思ったと思う。自分の生活に戻っていって、、、日本での生活は何かの夢みたいに思うかな?私にとっても、、、かぐや姫たちがいた生活がまぼろしみたいに、ときどき思える。街は影でgaijinに支えられてると思う。私の日本での人生を影で支えたのも、期間限定のかぐや姫たちだった。
さよなら
でも救いは、またいつか地球上のどこかで会えるに決まっているという希望と、私たちにはインターネットがあるっていう安心。
麻
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Posted by イシワタマリMari Ishiwata | 01:13 | Comment [0] | TrackBack [0] | 未分類
I want to know why I said no

Yesterday a begger talked to me to give a money for the train, it was almost the first begger I've ever met in Tokyo. I thought Japan was the only one country where we didn't see any beggers.
I said that no, I's sorry but I didn't have money to give him.
I want to know why I said no.
麻
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Posted by イシワタマリMari Ishiwata | 00:28 | Comment [0] | TrackBack [0] | 未分類
アルバム

人生のなかで最高級に幸せすぎて困惑した日のリスト
ロンドンの家の大勢の多国籍人間たちとのパーティの日
なっちゃんの結婚式の日、
ブライダルシャワーのサプライズパーティの日
映画の撮影で三崎口の海に行った日
好きな人とプラネタリウムに行った日
たかはしくんをみんなで驚かした誕生日パーティの日
「学校で遊ぼう」をした日
(とくに黒板ペインティング中とJack Tune Crewのクラブタイム中)
プサンのキム家族に迎えられた日と再会した日
ソウルの河辺で少女たちが踊ってくれた日
サンセバスチャンでの私の誕生日
なっちゃんとのスペイン旅行、
とくにミロ美術館に行った日と
ミラマル城でパフォーマンスをした日
たかはし家で寝てる普通の日
マドリッドで絵を描いた日(大好きな人たちと再会できたから)
今年の新年会(07年1月6日)
ファーストキスの日
こないだ松藤くんがDJした日
獏原人村でへんな3人組が水浴びしてた日
自転車のうしろにのって文京区を走り回っていた日
子どものころ家族のクリスマスイブの日、
朝サンタさんからのプレゼントを見つけて寝ている両親に報告にいく日
不思議なひととディナーを食べて、「あなたは将来白魔女になると思う」と言われた日
嵐のなか逗子の海に入ったら晴れてきた日
宇佐美の海で砂遊びと海に浮かんでた日
お母さんの誕生日祝いに家族で食事した日
(とくにバラの花束をあげたときの母の顔)
ソンヒとミンギョンと東京でブラジル料理を食べた日
イスラエル料理レストランで多国籍人間たちと働いていた日
えみおちゃんちの子ねこのみみが私のかばんに入ってきた日
えみおちゃんが「赤ちゃんができたの」と言った日
生まれた赤ちゃんに会った日
ももよと沖縄で泳いでるタコの足を食べていた日
ニューヨークの寮でエロディの部屋に小さなフランスがあった日
高松の雨のイサムノグチ美術館の日
初めての個展で、銀座の古い建物の廊下でのオープニングパーティの日
満開の桜でむせかえる京都の日
ピンクレンジャーになった暁ちゃんとお寺で遊んだ日
スペインとフランスの国境の海でヨットに乗っていた日
家族旅行で大分のすばらしい旅館に泊まった日
バンコクの両替所でトクをしてレストランでぼったくられて+−ゼロになった私たちの記念日
みんなで樫尾先生の家に行った日
中学を辞めることを決めたあとの文化祭
犬のビビアンが涙を舐めに来た日
カンボジアで180度の虹を見た日
グラビトンでグループ展「garden」をやった日
電車の中で好きな人の眼鏡に自分の顔が映った日
フーとロースクールの建物を探検した春の日
留学生たちのお別れ会、公園で花火をして警察が来た日
小学校の図書館でスマーフを読んでいた日
小学校の体育館で「ワオワオごっこ」(ただのはんかち落とし)をしていた日
高校のときの文化祭実行委員会の集まりのときの日
タイムマシンと、眼がビデオカメラになることが発明されたら、あの日の場所に行ってその映像を撮影するのだ。
ぱちぱち
また、
これらの映像がすべてではなく、文字の記録として手紙とメールもある。
京都にかけおちしたときの母からのメール
子どもの頃のクリスマスのサンタさんからのカード
中学をやめたいと言った時の母からの手紙
就職しないと言った時の母からの手紙
いつかわすれたけど母からのメール
昔片思いのひとが一瞬は私のこと好きだったと思えた頃のメール
ももよと知り合った頃のメール
ヒントンが孤独2世のストラップを買ってくれたことを告げたメール(と留守電)
家出事件が勃発したときのジョンからの日本語のメール
幸せの材料はいっぱいある。
それは絶対、ひとりでいるときじゃない日のこと。
麻
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Posted by イシワタマリMari Ishiwata | 10:07 | Comment [0] | TrackBack [0] | 未分類
時間が経験になって私になるとき

時間がたつのが早くてこわい。
忙しくなくしたはずなのにまだ忙しくておかしい。
私のリラックスしない悪いくせはまだ完全には抜けてない。
でも世の中に無駄な「時間」はほんとにない。
無駄と思っていようがいまいが、残念ながらどの「時間」も「ナシ」にはできずに
全部なにかの「経験」に変わって「私」のパーツになっちゃう。
そう思うとまあまあ安心
焦っても焦らなくてもどっちみちそうなんだもの。
とにかくいつもいつもまっすぐに選んで、どうにかしてすべての「時間」を過ごすことで「私」の人生を生きる。
麻
Posted by イシワタマリMari Ishiwata | 15:51 | Comment [0] | TrackBack [0] | 未分類
