ishiwatamarimarimariishiwatta
ぜんぶ捨てる

最近ずいぶん調子がよくなっている。
禁止事項の多さよりも、やってもいいことの多さに注目できるようになった。
ね、ありがとう。
平日はいつも野菜と豆と玄米を食べている。うす味で。
金曜日は肉食動物の彼に会う。
インドカレーやタンドリーチキンを食べる。いつもの食事を選択する余地が無かった。
自分はつい最近までこのような食べ物ばかり食べていたのか、と愕然とする。それは悲しい愕然ではなく、とてもニュートラルな愕然です。ひさしぶりに食べるバターの風味やカレーのスパイス、ナンのかりかりは「こ、こんな食べ物がこの世の中にあったのか!」というほどおいしく、平然としている彼を目の前に、口の中が感動と興奮に渦巻いていることを隠すのに必死。
自分もこれまで、このような刺激的な食べ物を平然と食べていたのだ。外食おそるべし。でも、このものがこのようにおいしいってことが知れてよかった。新しい発見だった。
食べるものを変えると思考回路が変わる、というのを身をもって実感している。
マクロビオティックのかたが、「肉食を始めるととたんにビジネスのことを考えてしまう」と言っていたけど、それはほんとうだと思う。そう言うと意地汚くいやしいみたいなかんじがするけど、その限りではない。
私がこの日感じたことは、肉食をやめると、いろいろな欲望が消え去っていくということだ。それはいいことでもあり悪いことでもある。肉か、あるいは甘いものかもしれないね。そっちかもしれない。肉や甘いものを食べなくっても平気になった私は、その他の欲望や情熱もみな薄まって透明になってしまった。
今はいったい何が私なのかわからない、というかこだわっていないから、かつての私を保つために肉を食べなければいけない、と思うわけではない。だけどやっぱり肉は食べよう。甘いものも食べよう(今はがまん。あと3週間だ)どういうものを食べるとどういうふうになるのか、知ったうえで色々食べる自由を楽しもう。そして「いろいろ欲望する」っていう前向きな自由を楽しもう。
土曜日はたくさんの人に会って、それもまた衝撃だった。
なんだかすっかり他人というものがどんなものだったか忘れていたから。他人のみなさんはみんな元気だったし、それぞれがそれぞれだった。友人のマリネがいよいよいっそう私と異文化圏に住む女になっていたことは心地よい面白さだった。
来週末には既婚者になるふたりは、既婚者に足を半分つっこんでいるような、さなぎからちょうちょの身体を半分出しているような、そういう神々しい温かさだった。
ボウズのアメリカ人とその娘はあいかわらずの宇宙から来た変人親子であった。いっしょに電車に乗るときは難しいが、それ以外はとても心地よかった。彼の父性愛に私も包まれ、彼が作ったお弁当を食べて、私もすっかりこの変人親子の仲間入りしたような安心した気持ちになって、とても温かくなる。
ふわふわ頭の少年が、私が前からずっと欲しかったものをくれました。かなり本当にうれしかった、ほんとに大事にすると思う。どうしてそこまでなのかはわからないけど、それがほんとに欲しかったし、いろいろ総合的に考えてみてほんとにうれしかった。電車の中でにやにやしながら帰りました。
いま部屋を片付けている。
思い出がつまっているものでもかなりほとんどの割合で捨てよう。なぜならそれが無くなっても思い出はすっかり私の知となり血となり肉となってここにあるから。さようなら、という儀式を行う。思い出がつまっているのではなく一緒に生活する必要のあるものだけをとっておく。たとえば先述の、少年からもらったものはとっておく。
手紙や日記もかなりの厳選レベルで厳選して捨てる。
たかだか3年くらい前の自分(や友人)がしゃべっている言葉のうすっぺらさに愕然とした。今は自分らしい経験知のもとに自分の言葉をしゃべっている私たちがである。全ては未熟な言葉だった。あたりまえだ、人生歴や日本語歴が今より3年少ないんだもんね。あのような時代を経て今に至るんだもんね。今しゃべっている言葉だって、今はリアルに感じても、3年後にはまた愕然とするのかもしれない。それでもいいから今の言葉で交信を続ける。きっともっといい3年後の言葉につながるから。
他人(とくに自分より若いひと)の言葉を聞いてその未熟さに鼻白んではいけない。そういうのは身の程知らずだ。
ひとにはひとのリアリティがあるのだ。
だから死んでられない、生きるっておもしろい。
さ、ひきつづき色々捨てよう。
麻
Posted by イシワタマリMari Ishiwata | 15:00 | Comment [0] | TrackBack [0] | 未分類
