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31 2006

わからないの

    








         



  

  



  ○



わからないの。
むずかしいの。
ま、いっか。

Posted by イシワタマリMari Ishiwata | 17:14 | Comment [2] | TrackBack [0] | 未分類

27 2006

ぜんぶ捨てる

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最近ずいぶん調子がよくなっている。
禁止事項の多さよりも、やってもいいことの多さに注目できるようになった。

ね、ありがとう。

平日はいつも野菜と豆と玄米を食べている。うす味で。

金曜日は肉食動物の彼に会う。
インドカレーやタンドリーチキンを食べる。いつもの食事を選択する余地が無かった。
自分はつい最近までこのような食べ物ばかり食べていたのか、と愕然とする。それは悲しい愕然ではなく、とてもニュートラルな愕然です。ひさしぶりに食べるバターの風味やカレーのスパイス、ナンのかりかりは「こ、こんな食べ物がこの世の中にあったのか!」というほどおいしく、平然としている彼を目の前に、口の中が感動と興奮に渦巻いていることを隠すのに必死。
自分もこれまで、このような刺激的な食べ物を平然と食べていたのだ。外食おそるべし。でも、このものがこのようにおいしいってことが知れてよかった。新しい発見だった。

食べるものを変えると思考回路が変わる、というのを身をもって実感している。
マクロビオティックのかたが、「肉食を始めるととたんにビジネスのことを考えてしまう」と言っていたけど、それはほんとうだと思う。そう言うと意地汚くいやしいみたいなかんじがするけど、その限りではない。
私がこの日感じたことは、肉食をやめると、いろいろな欲望が消え去っていくということだ。それはいいことでもあり悪いことでもある。肉か、あるいは甘いものかもしれないね。そっちかもしれない。肉や甘いものを食べなくっても平気になった私は、その他の欲望や情熱もみな薄まって透明になってしまった。
今はいったい何が私なのかわからない、というかこだわっていないから、かつての私を保つために肉を食べなければいけない、と思うわけではない。だけどやっぱり肉は食べよう。甘いものも食べよう(今はがまん。あと3週間だ)どういうものを食べるとどういうふうになるのか、知ったうえで色々食べる自由を楽しもう。そして「いろいろ欲望する」っていう前向きな自由を楽しもう。

土曜日はたくさんの人に会って、それもまた衝撃だった。
なんだかすっかり他人というものがどんなものだったか忘れていたから。他人のみなさんはみんな元気だったし、それぞれがそれぞれだった。友人のマリネがいよいよいっそう私と異文化圏に住む女になっていたことは心地よい面白さだった。
来週末には既婚者になるふたりは、既婚者に足を半分つっこんでいるような、さなぎからちょうちょの身体を半分出しているような、そういう神々しい温かさだった。
ボウズのアメリカ人とその娘はあいかわらずの宇宙から来た変人親子であった。いっしょに電車に乗るときは難しいが、それ以外はとても心地よかった。彼の父性愛に私も包まれ、彼が作ったお弁当を食べて、私もすっかりこの変人親子の仲間入りしたような安心した気持ちになって、とても温かくなる。
ふわふわ頭の少年が、私が前からずっと欲しかったものをくれました。かなり本当にうれしかった、ほんとに大事にすると思う。どうしてそこまでなのかはわからないけど、それがほんとに欲しかったし、いろいろ総合的に考えてみてほんとにうれしかった。電車の中でにやにやしながら帰りました。

いま部屋を片付けている。
思い出がつまっているものでもかなりほとんどの割合で捨てよう。なぜならそれが無くなっても思い出はすっかり私の知となり血となり肉となってここにあるから。さようなら、という儀式を行う。思い出がつまっているのではなく一緒に生活する必要のあるものだけをとっておく。たとえば先述の、少年からもらったものはとっておく。

手紙や日記もかなりの厳選レベルで厳選して捨てる。
たかだか3年くらい前の自分(や友人)がしゃべっている言葉のうすっぺらさに愕然とした。今は自分らしい経験知のもとに自分の言葉をしゃべっている私たちがである。全ては未熟な言葉だった。あたりまえだ、人生歴や日本語歴が今より3年少ないんだもんね。あのような時代を経て今に至るんだもんね。今しゃべっている言葉だって、今はリアルに感じても、3年後にはまた愕然とするのかもしれない。それでもいいから今の言葉で交信を続ける。きっともっといい3年後の言葉につながるから。
他人(とくに自分より若いひと)の言葉を聞いてその未熟さに鼻白んではいけない。そういうのは身の程知らずだ。
ひとにはひとのリアリティがあるのだ。
だから死んでられない、生きるっておもしろい。

さ、ひきつづき色々捨てよう。




Posted by イシワタマリMari Ishiwata | 15:00 | Comment [0] | TrackBack [0] | 未分類

22 2006

気のせいのごはん、つまらなくない私

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こんにちは。

そんなこんなで、もっぱらごはんに気をつけている。
昨日、ついに“マクロビオティック”の本を購入。
あの“マクロビオティック”です。私のまわりに何人か、何年か前からそんなことを口にするひとがいたんだけど、正直「うさんくさい」と思ってた。「肉はなるべく食べない方がいいんだよ」と言っていた、力説していた、澄んだ瞳で。食べるものにいちいち気を使わなくちゃいけないんだったら(しかも大好きな肉を食べちゃいけないんだったら)死んだほうがましだぜ、と思ってた。
そんなのうそにきまってる、だまされてるよー、ジャンクフードの旨み、甘ったるいお菓子地獄の快楽がわからなくなってしまったらそれはあなた、負けですよ、かわいそうに。
あなたはそれでいいならいいけど、私はやだよ。
って思ってました。

健康、自然、オーガニック・・・そんなのが嫌いでした。
研ぎ澄まされてつまらない人間になってしまう気がした。都会に住んでいたかった。いつもアクセサリーをたくさんつけておきたかった。
そうでないとつまらない人間になってしまう気がした。

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Posted by イシワタマリMari Ishiwata | 23:03 | Comment [4] | TrackBack [0] | 未分類

13 2006

からだの中に病を飼う2

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私うつなんです。
的な安易な告白は、他人にときに嫌悪感を抱かせると思う。

それとくらべれば闘病日記的なものは、わりかし、ほんとうの経験談としてまっすぐにうけとめてもらえるような気がしている。

私は、激しい痛みが伴う病気や入院生活を余儀なくされるような病気をいちどもしたことがない。そういう病気に向き合うことがどれほどつらいことなのか、そしてそういうものに向き合うひとから見て今の私がしていることがちゃんちゃらおかしいたやすいことだとしてもしかたがないの、かもしれない。

けれど、日常空間にこれまでと変わらず身を置きながら、今までしてきたすべての食生活にブレーキをかけ、今まで自分の“しかたない性質”と思ってきたすべての事柄とまともに向き合う、という毎日は、私にしてみれば、私という動物の存在をかけた悲しくて苦しい闘いなんだ。

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Posted by イシワタマリMari Ishiwata | 11:15 | Comment [12] | TrackBack [0] | 未分類

13 2006

my particular teacher

スペインから、
フランスから、
ハワイから、

待ちに待ったものがぜんぶいっぺんに来た。

だいじょうぶ、これからきっと、うまくいく。




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Posted by イシワタマリMari Ishiwata | 01:47 | Comment [0] | TrackBack [0] | 未分類

11 2006

深海 片耳 リッチーホーティン

まぼろし
ごま
  ヨーグルト
豆乳
        魚 さかな
         青魚
 
  衝動を信じてでも振り払いたい

「どうでもよくなるわすべてが」
「おしえてこわれそうよこわれそうよ
なにかがかわってゆく」
というアコの歌を知ってる?

終わるときはこうなんだ。

終わりです。
終わりです。
なにかがかわってゆく

おそろしい

恋の話じゃないです。
でも恋と同じように突然マントをひるがえして終わっていくことが
ほかにもあったんだなあ。

まるで恋みたいにつめたくておそろしい。

自分でもどうしたらいいかわからないが、
終わるときは終わるのだ。

まるで恋みたいにつめたいそのものとのやりとりから、
なんとか私をすくってくれるのは
あたたかいほうのほんとうの恋だ。

嗚呼

 無知の知

と同じように、
きみは、自分が勝手であるということを
知っておく必要がある。

勝手
失礼



太った


バス
  工事現場

灯りの道

呼吸

      リッチーホーティン

深海

片耳
片耳

 わきのしたのすきま

 それでようやく救われる。




Posted by イシワタマリMari Ishiwata | 00:15 | Comment [0] | TrackBack [0] | 未分類

08 2006

シーソー

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心の中、シーソーは突然いいほうに振れる。
歩くことも笑うこともメールを打つことも重労働だったし鏡の中の顔は死んだいきもののようだった、あれほどの憂うつは永遠に晴れないと思ったのに、今日はけっこう元気。

いろんな条件がちょっとちょっと昨日より変わる。
昨日は許せなかったものが、許せるようになる。

だからあなどれない、今日が来てみないと、今日の気持ちはわからない。



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Posted by イシワタマリMari Ishiwata | 23:45 | Comment [0] | TrackBack [0] | 未分類

07 2006

ありとしらす

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(きもちわるい話があんまり好きじゃないひとは読まないほうがいいのかもしれません、そんなにきもちわるいこと話すつもりではないんだけどいやなきもちになったらごめんね。)

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Posted by イシワタマリMari Ishiwata | 22:12 | Comment [0] | TrackBack [0] | 未分類

07 2006

2006 7/2 live painting w/LOOT 

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かなり遅ればせ。
先月、LOOTさんといっしょにライブペインティングしたときの写真をアップしました。

http://homepage2.nifty.com/ishiwatamari/performance060702.htm

Posted by イシワタマリMari Ishiwata | 00:39 | Comment [0] | TrackBack [0] | 未分類

04 2006

デトックス

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今から1年間は、魂の修行の1年にしてみようかな。


という気持ちになっている。

Posted by イシワタマリMari Ishiwata | 01:07 | Comment [0] | TrackBack [0] | 未分類

02 2006

魔法の光合成

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しょせん1年じゃ芽は出ない。

しょせん人はそうそう、
たとえ不本意な境遇の中で不本意だ!と思いながら過ごしたとしても、
1年や2年では不本意な姿に変わり果てはしないから

だいじょうぶだよ、

とKは言った。

そうかもね、となんか救われる。

ほんとは私はそれは信じられないけども。
でも先人たちの人生のようすを見ていると、それはほんとうのことな気がする。不本意だ、ということに気づいている以上、私はそれでも私でいられるのかもしれない。

70歳も72歳もそれ自体は大して変わらないのだし、
72歳になって振り返ったとき、22歳のときの1年や2年のせいで
人生を踏み誤った、とはきっと決して思わないだろう。

Kはそういう趣旨のことを言って、私は、今となってはいまひとつ共感しないが、とはいえなんとはなしに救われた。

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人のいのちというものは、父と母の一瞬の偶然によって、無が有に豹変したその結果であるにもかかわらず、

一瞬と比べれば永遠にも思われるような「1年」がそんなにそんなにもちっぽけなものなのか。

しかしKはそんなへりくつのことを言ってるんじゃなくて、竜巻には向かっていって中に入って過ぎ去るのを待つしかないと言った。
波の行き来をただ観察すればいいのだと言った。答えはないのだから、と。

私には今再現できないけれど、KはKの口からは、とてもしっくりくることを言っていた。

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私にとって、関心があるのは、すべてのひとが自分の体験をふまえて自分の口から自分の言葉でしゃべるときのその言葉たちである。
ほかのだれの口から出てきた言葉も、当人以外の人間には再現することができないから、私はいつも人が自分の口からしゃべる言葉だけを聴きたい。(日記、手紙(むろんブログ、Eメール)も可)
受け売りの言葉やうわさ話には興味が無い。

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他人を救えるのはいつだって、その経験を共有する他人しかいないんだって今はよく思う。どんなにモテようが失恋をしたことがないひとに恋愛相談をしても無駄だし、婦人科の男性医師はナンセンスだし、アル中を克服しようと闘う人が、なにかに依存する苦しみを知らない人から説教をされてもちゃんちゃらしらじらしいのだろう。

人は自分で自分を救うことがけっきょくできない。弱いもの同志が寄り集まってしていることは、きずをなめあうことなんかじゃなくて、強いものには生み出せないとくべつな魔法を、とくべつなコンビネーションによって作り出しているんだと思うんだ。

最近いろんなひとがとくべつな魔法で私を救ってくれる。
その魔法はほんとは全然とくべつなことじゃなくて、だれでもだれとでもいつでもふとした瞬間に生み出せるような、日常的な日常的な魔法よ。

つい先日まで私はいつも電車に揺られながら泣いていたが、そのような一小節が過ぎて次の小節に進みそうである。







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Posted by イシワタマリMari Ishiwata | 23:27 | Comment [0] | TrackBack [0] | 未分類

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