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09 2007

マソメノス

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日本生まれ日本育ちの私には不便で泣きそうになるが最後の瞬間にわりとうまくいくようにできている。
というのがこの王国のしくみ。


国中の誰と話してもみんな「マソメノス」(mas o menos, more or less, だいたい)が口ぐせ。30分に1本しか来ないバスの時刻表もマソメノスなのかどうか、が今もっぱらの関心。masはいいとしてmenosもありうるのかどうか。



Posted by イシワタマリMari Ishiwata | 02:21 | Comment [0] | TrackBack [0] | 未分類

30 2007

立ち直りは早い

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じつはさっきまでとてもめそめそしていた私だが、なんだか、いろいろ思考しているうちにすっかり元気になってきた。

もう、明日に向かってガシガシ突き進んでいっちゃおうかという気持ちになってきた。次の瞬間突然めそめそと泣き崩れるということもあるかもしれないけれど、それでもいいのだ、行きつ戻りつ、私は前に進もう。苦しいことほど感謝しよう、自分が成長するかと思うと、興奮する。
私は前向きで負けず嫌いである。昨日おばが言っていたけれど、おばにとっても私にとっても、「負けず嫌い」の意味は誰かと競争して負けないことではなく自分に負けないこと、自分にうそをつかないことなのだ。


Posted by イシワタマリMari Ishiwata | 00:24 | Comment [0] | TrackBack [0] | 未分類

29 2007

世界

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そこにはいろんなトリックがある。
いろんなコードがあって、いろんな読み解きかたがある。
ひとつの読み方を選ぶと、それにつながる島が浮かび上がって、ひとつのストーリーが生まれる。
あるきっかけで別の読み方を選ぶと、まったく違う島が浮かび上がってきて、今までまったく気づかなかった別のストーリーが生まれる。

幸せなストーリーかもしれない。美しいストーリーかもしれない。でもそれでもそこにはいろんなトリックがある。

トリックを怖れてもね、
怖れてもしょうがないんだ、トリックはあまりにもいっぱいあるんだもの。

私は怖いよ。
情けないし胸が苦しい。
だけどだからといって空虚ではない。不幸せではない。

「みんなかわいそうだよ。」とみづほちゃんが言ってた。私だってかわいそうだしあなただってかわいそうだよ。
そうだよね。
そうだと思えば誰も特別なんかじゃない。だれも恵まれてなんかいないし、だれも恵まれていなくなんかない。

私は自信がないよ。
自分の歴史のすべてが疑わしい。
この世界に確かなものなんてなにもない。
だけど楽しくないこともないし、楽しみじゃないこともない。

言い換えれば、

充実しているし、幸せだし、楽しいし、楽しみだ。

生きていくって、そんなもの。

私はなにを聞いてもびっくりしないと思ってた。
動じないと思ってた。
だいたいのことは想像がつくと思ってた。

そんなことない。
想像もしないようなことが、たくさんたくさん起こる。
当たり前だ。

自分のことは、まだまだわからないことだらけだ。
だからもちろん、よく知っているつもりの何かのことも、誰かのことも、まだまだいつまでも永遠に、わからないことだらけなんだ。それで当たり前なんだ。
世界にはまだまだわからないことがたくさんたくさんたくさんたくさんある。

誰にでも、成長の余地はたくさんある。
驚きの余地はたくさんある。
今までまったく気づかなかった別のストーリーに気づく瞬間は、どんなに生きてもどんなに慣れてもまだまだ、たくさんある。

と、たくさんの知ったかぶりの大人たちに言ってあげたい。

慣れることなんてない。
遅すぎることなんてない。
大人なんて、ほんとはどこにも、いない。




Posted by イシワタマリMari Ishiwata | 20:00 | Comment [2] | TrackBack [0] | 未分類

25 2007

くぎりくぎり

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一日一日が一日一日としてすぎていく。
何にも追われていない。悪くない。

「潜入調査(観察、インタビュー)」、これは私の趣味である。しかし私はこのことを得意とする一方、超不得意科目が「演じること」である。

子どものころは私だって少なからず「演者」にあこがれていた。しかし実際問題は私にとって「演技」ほど苦手なことはない。たくさんのひとが俳優業にあこがれるのは少し興味深い現象だと思う。「演じる」ということはそれほどに格上な事柄なのか?たくさんの選りすぐりに見栄えのいい男女がこぞって取り組む事柄なのかな???

楽しいふり、なんともないふり、何にも考えてないふり、興味あるふり、興味ないふり、好きなふり、嫌いなふり・・・ができない。

8月もあと一週間であります。





Posted by イシワタマリMari Ishiwata | 12:35 | Comment [0] | TrackBack [0] | 未分類

22 2007

見たことある顔

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きもちの滅入った私のところに、友人から届いた郵便物は、『森と氷河と鯨』という、星野道夫さんの本だった。
ほんとにありがとう、と思う。たましいの話から遠ざかりつつあった私に、いま必要だったのはこのことだったの。

私は本を読むのが苦手だったけど、ここのところ初めてけっこう、読書をしている。本を読むのも案外いい。





「顔が似ている」

ということはけっこう大きな意味があるような気がしている。
たとえば写真集の中のアフガニスタン人の男性の顔を見て「え!日本にいるよこの顔のひと」と思うこととか、自分の顔の輪郭がポカホンタスに似てると思うこととか、ペルーの老婆がうちのおばあちゃまにそっくりなこととか、チベットの村の人々になんだかしらない郷愁の念を抱くこととか、韓国の街でハッとすることとか、ニューヨークやロンドンのチャイナタウンで妙に落ち着くこととか。

遠くの見知らぬ土地にいるひとは自分が見知らぬ顔立ちをしていると思い込んでいたのに、「ものすごく見覚えのある顔!!」ということで、

「似ている」っていうのはけっこう大きな意味があると思う。

それは、「なにかを共有しているのかもしれない」という気持ちなの。「なにかがつながっているかもしれない」という気持ち。

私は純粋な血などというものを信じてはいないし「日本人」という人種がいるとも思っていなくて、私が古今東西老若男女人間動物問わずいろんなひとに似てると言われたりいろんな国のひとに間違えられるのはけっこう喜ばしいことなんだけど、それは、「いろいろなひととなにかがつながっているかもしれない」という気持ちがふくらむからだ。

それはべつに錯覚でもかまわなくて、ただ、自分の心の中に生まれるなにか「ハッ」とするなにかなんだよね。






Posted by イシワタマリMari Ishiwata | 22:24 | Comment [0] | TrackBack [0] | 未分類

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